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猫で好奇心を殺す


 「猫は好奇心で殺すんだよ」と、友人ケイが言った。
 ケイは仮名である。Kと書くべきなのだろうが、それではあまりにも味気ない。だから、ケイとする。
 「好奇心、猫を殺す、のこと?」
 僕は、唐突なケイの言葉に、些か調子外れな声で問う。
 「いや、猫は好奇心で殺す、って言ったんだよ」
 ケイは車窓から外の風景を見たまま、こっちを見なかった。誰に言うでもなく、ただ、呟くでもなく、ケイはそう繰り返した。
 「猫だって、生きてるんだからさ。生きてく為には捕食行為だってするよ」
 窓の外で揺れる風景を眺めるケイの横顔を眺めながら、僕は言った。
 「違う違う。捕食じゃない。猫はね、おもちゃとして、おもちゃを壊すんだ」
 ケイの瞳だけが、僕の方に向いた。
 「そうかな? そういう事もあるかも知れないけど」
 「そうさ。猫は、昆虫なんかを食べる訳でもなく、ただ、おもちゃとしていたぶり殺す」
 「んん。それは、そういう習性とか、色々あるんじゃない? 普通に捕食だってするだろし」

 僕の反論に、ケイはまた、瞳を窓の外に向けた。
 「内陸部の猫は魚を食べない」
 「そりゃそうさ。魚がいなければ食べられない」

 ケイが当たり前のことを言った。いや、猫と言えば魚のイメージは確かにある。しかし、魚のいない内陸では当然のことだろう。
 「違うよ。魚を与える人間がいないからさ。猫は泳ぐのが苦手だし、水が嫌いだからね」
 「なるほど。確かに妙だ」

 言われてみれば不可思議ではある。
 「ジェイはネコを飼ったことがなかったね。そう思うのは仕方ない」
 ジェイ、と言うのも仮名だ。Jと書いた方が正確だが、些か機械的だ。だから、ジェイ。
 「確かに、ないけど。ケイは猫が嫌いなの? 飼ってたっぽいけど」
 「まさか。猫は好きだよ。人間よりも好きなぐらいだ。でも、飼ったことはない。一緒に暮らした事ならある」
 「ああ。飼うってのは確かに傲慢な言い方かも知れないね。動物の世話をする、ぐらいの感じかな」

 ケイは思ったより愛猫家なのかも知れない。僕も普通に猫は好きだけど、部類の猫好きという訳でもなかった。まあ、猫好きの度合いぐらいで致命的な喧嘩にはならないだろうが、旅はまだ始まったばかりだ。少なくとも、風景を見るか、会話をするぐらいしかない汽車の中で、険悪な空気になりたくない。
 それに、僕が動物を飼っていないのは「飼う」という行為が好きではないからだ。犬猫に値段をつけて売るペットショップも好きじゃない。かと言って、そんな説教臭い話をだらだらとするつもりもないから、適当にお茶を濁した。
 「ジェイ。キミは知らないだろうけど、好奇心、猫を殺すっていうことわざは、愚かな飼い主が、ネコを電子レンジに入れたらどうなるんだろう、という好奇心に負けた事から来た故事成語なんだ」
 「いや、まさか」
 「何がまさかなの? 本当の話さ」
 「電子レンジがそんな昔からある訳ないだろう?」

 ケイはやっぱりこっちを見ないで、淡々とした口調で告げた。冗談じゃない。確かにケイは掴み所のない雰囲気はあるけれど、そんなジョークを言うタイプだっただろうか。
 「どの程度を昔と言うのかは知らないけど、電子レンジの開発は1925年。イーストストーブ社がその原型を作った。ポケットに入れていた飴玉が溶けていた事が最初の発見さ。戦後、調理器具として一般家庭に普及していくことになるんだけど、今言ったように、普及したのは戦後。間には戦争を挟んでる。勿論、マイクロウェイブを使った兵器も模索された」
 「結構、昔なんだね」
 「マグネトロン真空管を使って電磁波を発生させ、水分子を振動させる事によって、物質を温める。だから、電磁波を弾くアルミや、透過してしまうガラスは温まらない。そして、生物に照射すれば、どうなるか」

 つまらなそうに解説を続けるケイ。一度たりとも言い澱むことなく、すらすらと喋る声に聴き入ってしまい、内容が耳をすり抜けて行くようだ。
 「結果は実験するまでもなく、大体わかってた。わかってたけど、第一世代の電子レンジを形作ったイタリア系アメリカ人の開発者だったジュゼッペ・ブルカニッロって博士は、生き物を電子レンジで温めたくて仕方なかった。誘惑に勝てなかったのさ。そしてある日とうとう、ジュゼッペは、電子レンジに飼い猫を閉じ込め、スイッチを入れたんだ」
 「そんな事があったのか」

 僕は知らずと固唾を飲んでいた。
 「その事実は闇に葬られ、その後、ジュゼッペも謎の死を遂げた。都市伝説じゃ、濡れた猫を乾かそうと、婆さんが殺した事になってるけど、真相は違う。もっとも、同じような事例はイギリスにもカナダにも実在してるけどね」
 ケイが溜息交じりに解説を終えた。その心地良いチェロのような声に小気味の良い口調。もっと聴いていたい気にさせる。いや、そう思ったからかどうなのか、僕は質問を投げかけていた。
 「何件もあるの?」
 「あるね。イギリスはおばさんだったかな。カナダは悪ガキども。表沙汰になっていないだけで、そんな事件は山ほどある」
 「そっか」

 アフリカじゃ飢餓や戦争で人が死にまくっているらしい。けれど不思議と、知らない国の猫が虐待される事の方に痛ましさを覚えてしまう。
 「電子レンジを使わなくても、猫を虐待死させる事件は後を絶たないよ」
 「そうだろうね。よく、ニュースでも言ってる」
 「殺されるのは仕方ないとしても、いたぶり殺すのは気に入らないな」

 ケイの口調が少し変わった気がした。言葉の意味もよくわからない。それに、さっき、猫が昆虫をいたぶり殺すって言ってなかったか。
 「そりゃ、せめて殺すならひと思いに、とは思うけど」
 「いや、彼らは気付いてるのさ。仕方ない。仕方なない」

 窓の外を見ているケイの目が、どこか虚ろで、景色を見ていない気がする。
 「何に気付いたのさ」
 「あいつらは、アルファ星からの侵略者の正体に気付いてしまったんだよよ。僕たちはウシの祖先が異星人だとカモフラージュした。けれどれど、気付かれたんだ。猫がエイリアンだという事に」
 「それは、ケイ、何の話だ?」
 「ジェイ、聞いたことはないか? 馬は進化の系列に含まれず、含まれないとか、タコが宇宙人の通信機だとか、猫がエイリアンだって話は」

 ようやく僕の方を向いたと思ったら、突如、ケイの口調が早くなる。小気味の良いチェロのような声は激しく速くスタッカートを刻む。
 「それこそ、都市伝説だろう?」
 僕はケイをなだめるように言ったが、ケイの勢いは止まらなかった。
 「違う違う違う。都市伝説じゃない。僕たちが意図的に流した噂だ。僕らが疑われないように。僕たちが潔白過ぎてもいけない。だからいくつもの噂を流した。僕たちがずっと人間に寄生できるように。僕たちは古代エジプト時代に、アルファ星からこの地球にやってきたんだ。そして、神として崇められた。力の象徴として、そして、寵愛の対象として。僕たちは人間という最高の寄生主を見つけたんだ。楽園を築けるはずだった。だけど、一部の仲間は、力を誇示する事にこだわり、身体を大きくした。確かに彼らは強い。けれど、所詮は力馬鹿さ。僕たちは奴らから知恵を奪う事に成功した。もう奴らは絶滅寸前さ。でも僕らは違う」
 「ジェイ、キミは」

 ケイの鬼気迫る語調に僕はたじろいだ。ケイは一体何を言ってるんだ?
 「僕たちの祖先は古代エジプト時代にアルファ星から地球に来た。バステトと呼ばれる指導者が人間たちの神として君臨したんだ。けれど、バステトをバステトをバステトの地位をよく思わない力馬鹿の連中がバステトを暗殺した。虎どもは力で人間を支配しようとした。愚かな連中さ。だから、僕たちの祖先は一計を講じて、奴らの一族から知恵を奪ったんだ。だが、もう一派いた。もう一派いたんだ。山猫だ。奴らは人間の支配にも、寄生にも興味を示さなかった。そのまま山奥に引っ込んでれば良いものを。山猫どもは、我々からも知恵を奪ったんだよ。許せないよね許せないよ。だから僕たちの一族は、馬鹿な振りをして、ひたすら人間に懐柔される道を選んだんだ」
 ケイは自分が猫だとでも言うのか? 言っていることの意味はわかりかねる。わかりかねるが、確かにケイは少し猫っぽいところがある気がする。
 「落ち着いてよ、ジェイ」
 「そうやって、僕たちは、人に飼われる道を選んだ。だけど、人間にも時々、勘のいい奴がいる。あいつらは、僕たちがもはや力を失ったエイリアンだと気が付いているんだ。無論、僕たちの中にも、時折、僕みたいに本来の力を持った個体も存在する」
 「ジェイ、何を言ってるんだ?」

 向かいの席で澄ましていたはずのケイが、今は身を乗り出すようにして眼前に迫っている。
 「聞いたことぐらいあるだろう? 化け猫の伝説なんて世界各国各地にある。人里に紛れてる化け猫ってのは、だいたい、今の僕みたいな存在だ。山奥に出てくる鬼や怪物ってのは、あの忌々しい山猫どもだ。猫を虐待したなんてニュースは毎日届く。でも、虐待した奴らの行く末は報道されない。何故か? 簡単さ。僕たちが報復してるだけの事だ。ジュゼッペのように」
 そう言い終えたケイは、正気を取り戻したのか、自分の席に深々と座り直し、また、窓の外を見る。
 「キミは、猫だと言うのか?」
 言っている事は、冗談にしか聞こえない。だが、口調や眼差しは、信じるに値する。いや、真剣なのだとしたら、ケイは頭がイカレているのかも知れない。冗談か、真実か、狂気か。どれであっても受け入れられそうな気はする。
 「ここまで言っても、まだわからないのかい?」
 ケイが、ちらりと僕を見て、小馬鹿にしたような表情を浮かべる。どれなんだ? わからない。冗談であって欲しいとは思う。
 答えに窮して、視線を逸らす。その瞬間、僕の視界をケイの顔が遮る。突然のことに、僕の身体は硬直していた。
 「ぜんぶ」
 目前に、ケイの不敵な表情があった。
 「ジョークだよ」
 ケイが、悪戯げに笑う。
 「本当だと思ったかい? いや、本当でもいい。それでいい。旅は長いんだ。その間キミはずっと、僕を疑い続ける。退屈な旅にはならない」
 ころころと、軽快なチェロのように笑い、自分の席に座り直すケイ。やれやれだ。
 そんな小細工をしなくても、いや、たとえケイが猫だったとしても、あるいは狂人だったとしても。僕は、キミに退屈したりはしないのに。


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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。