テスタメント・ハラスメント
皆さん、こんにちは。脚本的に好きなのはメメント。木賃ふくよし(芸名)です。
なんと言いますか、ハラスメントって言葉があるじゃないですか。
セクハラだのパワハラだの、スモハラだのアルハラだのモラハラだの、数え上げればキリがないぐらいのハラスメントがある。
いや、あるって事になってる訳だ。
いやいや、数多くのハラスメントが存在していないなんて事を言いたい訳じゃない。勿論のこと、ある。あるんだろうさ。あって構わない。
だが、ワタクシは時折思うのだ。
(´・Д・)」それ、ホントに
ハラスメントなのかねぇ?
誤解なきよう先に言っておくと、別に、老害を拗らせて、
(´°Д°)」そんなの昔は
普通だった! 大袈裟な!
って言う意味じゃない。故意か無自覚かはともかく、他人が嫌がる事ってのは、なるべく減らした方がいいだろう。
ただ、何でもかんでもハラスメントだ、ってのは如何なものかと思う訳である。
例えば、ヌードル・ハラスメント。
麺をすする文化のない外国人にとっては、麺をすする音ってのが不快極まりないと言う。
言い分としては理解できる。出来るが、日本人は麺をすするんだから「郷にいれば郷に従え」だ。
別に海外でラーメンやうどんが食われる際に、音を立てないのは好きにしてくれ。ってなモンである。
そもそもヌードル以前に、おそらく海外にもいるであろう、
(´°Д°)」クチャラーを
撲滅してから言って?
とは思う訳だ。
そう言えば、先日このnoteの記事で「旅行先に来てまで、チェーン店に行く意味ってあるのか?」ってな話題を取り上げた。
ワタクシは個人的に「勿体ないな」とは思うが、そんなのは「大きなお世話」でしかない。
金がないのかも知れないし、時間がないのかも知れないし、食に興味がないのかも知れないのだから、そんな事は彼らの自由にすべきである。知った事ではない。
ただ、グループで行動をしている場合、例えば3人が「せっかくなら美味しいものを食べたい」と思っていたとして、1人が「金もないし、食い物に興味ないし、牛丼チェーン店で済ませよう」と言ってしまったら、残念ながら、
(´・Д・)」金を
持ってない奴に
合わせるしかない。
なんて事態は侭ある話だと思うのである。コレだと、「美味しいものを食べたい派」の3人がハラスメントを受けていると言えなくもない。
それはチョット違うのでは? と思う人もいるだろうが、立場を逆転させてみよう。
多数派の「美味しいものを食べたい派」が、「ごちゃごちゃ言わずに金を出せ! 美味いものを食うぞ!」と言うと、
(´・Д・)」 多数決で
パワハラが成立する。
コレはハラスメントと言うより、同調圧力と呼んだ方がいいのかも知れないが、図式としては同じである。
基本的にハラスメントは立場の強い側が、弱い側に強いるから成立する訳だが、近年はもはや、
(´°A°)」弱者に配慮
しないのは差別である。
と言うような風潮が強まっており、既に「弱者」や「少数派」はそれを盾に「配慮しろ」と迫って来ていたりする。
この際の解決策は、「食べたい派」と「食べたくない派」で別行動をする事が現実的なのだが、困った事に近頃は、別行動を取った後に、
o(`ω´ )o 仲間外れにされた!
とか言って「先生に言いつける」ような輩が増えているらしい。
お互い協議の上で、納得の選択だったはずだが、揉め事になってしまう。
こう言った背景を踏まえると、既に多数派は少数派からのハラスメントを受けていると言えなくもないのである。
そう。大事なのは、お互いに「協議の上で納得したはず」という部分だ。
今現在の世界は総じてロジカルでローフルに判断するしかない。感情で物を言うと争いごとにしかならないからである。
しかし、「弱者」や「少数派」のブランドを盾にすれば、論理の階段を、文字通り飛躍して来る訳だ。
例えば、たびたび日本政府による海外への金のバラ撒きが問題視されるが、
(´・Д・)」別にバラ撒いてない。
いや、そこに無駄金がないとは言わんが、ODAなどの基金は貸付である。
つまり、発展途上国に金を貸しておいて、その国が発展すれば、貸付金は増えて返ってくるのは明白だ。
無論、貸与だけでなく、贈与もあるが、こちらも恩を売っておく事で国家間のトラブルを防ぎ易くする意味合いがある。
また、技術協力などの形もあり、これは途上国の発展を促すだけでなく、自国の企業が途上国に進出しやすくなる効果などもある訳だ。
(´・Д・)」つまり、
バラ撒きではなく、
種蒔きと言うべき。
まあ、その優先順位や金額に問題がないかと言う点はあるが、バラ撒きと言われると、論理的に言って、バラ撒きではない。
しかし、世の中にはこーゆー話をすると、
(`ω´ ) ロジックハラスメントだ!
ってな事を言い出す連中まで出てくるから、厄介この上ない。
そりゃね? 人間は感情の生き物ですから、行動の起点と決断は感情でしか選べません。
しかし、その過程まで感情にしてしまうと争いごとしか起きないんですよ。ええ。
なので、ロジハラことロジックハラスメントは成立しちゃいけないんです。
どこまで行っても、論理的解決だけは否定しちゃいけないんですよ。
残念ながら、いわゆる「少数派」や「弱者」を御旗に掲げる連中や、「陰謀論者」にロジックは通じない。
だからと言って、論理派までが連中の感情論に付き合う必要はないのである。
言い争っても得はない。ただ粛々と、粛々と対処していくしかないのである。
つまるところ、論理派はロジハラと言われたら、
(´・Д・)」そっちは
エモハラじゃねーか。
と半笑いで流すのが正解だと言わざるを得ない。
と言うわけで、論理側からの意見を述べた訳だが、それだけでは対立を煽るだけである。
なので、世の中から、あらゆるハラスメント被害者を減らす方法を考えてみた。
(´・Д・)」 何にでも、
いちいち「傷ついた」と
喚き散らすよりも、
(´°皿°)」 しょーもない事で
傷付かない強い精神を築け!!
いいか? アレに傷付いたから「対処してもらった」って奴は、次に「コレも傷付いたから対処して?」って増長するだけだ。
そんなまだるっこしい事をするよりも、
(´・Д・)」傷付かない
太いメンタルを持て。
それが一番の対処策だ。
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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。