なぜ「子どもから学ぶことの方が多い」のか
子どもから学ぶことの方が多い。
どこかで聞いたことがあるかもしれないが、僕も最近それを実感している。
子どもの成長過程を見る。
最初は寝返りも打てずに、ほぼ同じ姿勢で寝ているだけの状態から始まる。
寝返りがうてるようになると次はずり這いだ。
自衛隊の匍匐前進(ほふくぜんしんってこうやって書くんだ笑)のように進む。
ハイハイができるようになって、そしてつかまり立ち、からのつかまり歩き。
そこから徐々に手を離して歩けるようになる。
その過程の子どもの様子をみる。
寝返りを打とうと必死になるのだが打てない。
そのうち少し身体を揺らして勢いをつけることを学ぶ。
身体が半分くらいまで起き上がるようになる。
その力がどんどん強くなり寝返りが打てるようになる。
つかまり立ちも同じ。
ハイハイの姿勢から何かに捕まってみる。
腕の力で少し身体を上げて立つととうとするのだができない。
そこで顔などを打ってちゃうんだけど、それでもめげずに続ける。
何日も何日も続ける。
やがて腕力、脚力がともない立てるようになる。
この過程に物事に対する取組の基本が詰まっている。
何回も何回もやってできるようになる。
子どもからしたら本能でやっているだろうから、「やる意義」を感じてやっているということになる。
うまくいかなくても子どもは決してやめない。なぜならそれを「失敗」だと思っていないからだ。 本能的にわかっているのかもしれない。 歩みを止めることこそ「失敗」なんだ、ということを。
子どもは遊ぶ。
好奇心旺盛で、部屋の中、外に出てもたくさんのものに目がいく。
触る、口に入れる、投げる、落とす…
自分のやりたいことをやっている。
この「自分のやりたいことをやっている」ということが大事なのでよく聞いてほしい。
学校に入ってみんなと同じ教育を受け、会社に入ってやりたくない仕事をやる。
子どもだから好きなことができるということもある。
しかし現代において、人間はより人間、動物に近い状態に回帰していく。 なぜなら人間は本当にいやなことは続けられない。 やりがいや充実感を得たい、という人たちが増えてきている。 しかし周りの大人を見ても何も学べない。 なぜなら大多数の大人たちはやりたくない仕事をやっているからだ。 そうではなく、人間の本来あるべき姿、自然な姿。 好きなこと、自分がやりたいことをやるということ。 その状態に極めて近いのが子どもであるから子どもを見ていると「自分の人生生きてるな」と思う。 そして自分がやる意義を感じていることはどんどんやる。 何度も何度もやる。 そして実際にできるようになる。 そんな当たり前のことが大人になるとできなくなる。 それは自分がやりたいことをやっていないから。 しかし大人にもメリットはある。 その「過程」を楽しめるということ。 うまくいかなくても何でも、自分がやりたいこと、やりがいを感じることであれば結果がどうであれそれまでの過程を楽しめる。 なんなら結果がない場合だってある。 やっているだけで楽しい、充実感を得ることができる。 それを大人は感じることができる。 何でも良い。 過程を楽しんでこ。 それが人生そのもの。
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