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顔見知りを作ろう運動

近所に行きつけのカフェがあって、すごくアットホーム。店員さんとお客さんの距離も近くて、雰囲気もあたたかくて、とても好き。そして、なんといっても、カフェラテもおいしい。抹茶ラテも。

この間、仕事に行く前に、たまたま前を通りかかったとき、仲良しの店員さんがいて、「おはようございます。行ってきます。」って挨拶できた。ちょっとした世間話も。

こういう関係性って、つくづく大切だなと改めて思った土曜日。1人暮らしをしていたり、マンションで暮らしていると、めっきり近所づきあいもなくて、ましてや「おはよう。行ってきます。」なんて、誰に言うのだろう。

田舎で育った私は、近所の人としゃべるのは当たり前だし、名前だって知っていたし、よく学校の話とか近所のあばちゃんにしていた。それがあたたかいという感覚よりは、普通だと思っていたり、なんなら噂がすぐ回る街だと思っていた。

大学進学を気に都会で生活し始め、初めての1人暮らしにマンション暮らし。当然だけど、近所さんなんて知らない。付き合いといえば、大学の友達やバイト仲間くらいのもんだった。その時は、寂しいなっていう気持ちより、あー楽だなって。誰にも知られていないし、ある意味生きやすいと思った。

でも、思い返してみると、マンションの近所のお兄さんが朝出逢うと、いつも挨拶してくれていた。すごく笑顔が素敵な40代くらいの人。袴を着て卒業式に行く日には、「卒業おめでとうございます」って声かけてくれたことは、今でも覚えている。それから、車屋にいた警備員のおじさん。いつも立っているから、自然と挨拶していた。というか声をかけてくれていた。

今考えると、当時はそういう近所の意識も薄くって、あまり重要視していなかったけど、そういうことってすごく大事だよなって、今になると思う。

「顔見知りをどれだけ作れるか運動」

私が社会人になって、周りに友達がいるわけでもなく、地域で生きているって思った時に自ずと意識し始めた運動。

今の時代、SNSとかネット上ですぐに繋がれて、そういう友達も大事なんだけど、どこかリアリティもない。

顔を見て挨拶できる関係。たわいもない会話をできる関係。そんな昭和の時代を思わせるような社会を作りたいって思う今日この頃。

それがきっとこの世の中を救うと思う。



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