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キャッチフレーズ(13)

いつもの教室に着くと、杏奈は先に着いていた。俺に気づいた杏奈が駆け寄ってくる。
「ちょっと遅いよ。みんな待ってんだから」「わるいわるい」
そばに来た杏奈が小声で続ける。
「昨日何かあった?みんなさ、潤と話がしたいって」
思い当たるものはなかった。何かあったかと言われても、昨日は途中で帰ってしまったし、その後のことは分からない。
「途中で帰ったし、その先のことは・・。もしかして、もう任せられないってことかな?」
「いや、そんな感じじゃないんだよね。潤に協力したいって」
二人で顔を見合わせたが、答えは見つかりそうもない。協力ってどういうことだ?前日にそんなことする余裕あるのか?何組か集まっているところに俺は声を掛けた。「今日も練習の合間に少し話を聞かせて貰いたいと思ってるんだけど、前日だし、忙しいと思うから、都合の良いときに、そっちから声を掛けてもらっても良いかな。今日は1日ここにいるから」
すぐに返事がない。目や肘で、お互い誰が言い出すか相談している。やがてひとりが口を開く。
「あのさ、潤」
声の主は、3年4組の猪俣新之助だった。えーっと、たしかあいつらは紅白歌合戦っていう男女コンビだ。そのまま声は続く。
「昨日お前が帰った後で、みんなで相談して。アンケートっていうか、自分達のアピールポイントっていうか、そういうのを書いてみたんだよ。まずはそれを見てもらって、聞きたいことがあったら、潤のほうから声を掛けてもらったほうが良いかなと思って」
驚いた。ほんとに協力してくれるって話だった。今日は朝からみんなやさしい。それほどの状況ってことか。俺が一番ピンと来ていないのかもしれない。
「そんなことしてくれたの?漫才の練習だけでも時間足りないだろうに、なんか悪いな」
「こっちこそ、お前が倒れるほどがんばってくれてるのに、全然協力してなくって。協力っていうか、そもそも俺らの舞台だし」
なんかくすぐったい。でもすぐに昨日の気落ちが蘇ってきた。何かに真剣に打ち込むこいつらが羨ましくみえた。少しでもこいつらの晴れ舞台が良いものになるようにできるだけのことはしてやりたい。
「わかった。ありがとう。アンケートに目を通して、声掛けさせてもらうわ」

「やったじゃん、潤」
みんながそれぞれ教室の隅っこに戻った後で、杏奈が言った。
「こいつらにも後で『クレープ食わせろ』って言われるかもしれないけどね」
「あれ?そういえば啓太君は?」
「さっき、中庭の観察池の側で『おえっ』って餌付いてた」
緊張したり、余裕だったり、締め切りに追われたり。みんな、それぞれの前日を過ごしている。

それから俺たちは、アンケートを読み、話を聞かせてもらい、1つずつキャッチフレーズを決めていった。出来上がったものが、良いものなのかそうでもないのかは分からない。明日の本番になってみないと分からない。それは、昨日までに作ったものも同じだ。少なくとも言えることは、なんとか20組のキャッチフレーズを作り終えたということだ。それらは、一昨日まではこの世に影も形もなかったものだった。それだけは胸を張ってもいい。

「ふうー。おわったー」
「マジ助かったー、サンキュー」
窓から入ってくる西日で、教室が赤く染まっていた。昼間は目に見えないほどの小さな埃がきらきらと金色に輝いていた。杏奈が手を顔の高さに上げた。俺も同じように手を上げ、二人でパチンとハイタッチをした。

(つづく)


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