見出し画像

ひとりごと 20230201

好きなものは好きだし、嫌いなものは嫌い。
SNSをやる上で一番大事にしていること。

そうも言っていられない現実と違って、SNSでは好きなものだけで周囲を埋めていく事ができる。嫌なものは見えなくしてしまえばいい。それは、時に人間関係でさえも。

誰かに気を使って、うれしくないお世辞にありがとうだとか、わざわざ嘘を吐かなくてはいけないような状況に身を置かない。自分に嘘を吐く事は、他人を傷つけることより、ずっとストレスになるから。

こんなことをわざわざ書くくらいだから、それは逆説的に経験があるという事だ。Twitterで言えば、フォロバだとかいいね&RTを、俗にいう営業のような感覚で行っていた時期があった。

それはやはり撮った写真を見てもらいたい、評価してもらいたいという気持ちが少なからずあったからだろうと思う。自分で自分に対する評価が客観的に出来ていなかったし、そもそも評価の軸が、写っているものよりも、どう写したか、つまり技術的な側面からの方向に偏っていたように思う。

なんでそれを止めたのか、いつごろ止めたのか、よく覚えていない。
思ったようにフォローもいいねも伸びなかったからかもしれないし、良い仲間(と勝手に思っている人達)に恵まれて満足したからかもしれないし、結局自分が自分の写真の事を一番信頼してるよねって気づいたからかもしれない。

理由はどうあれ、今はずいぶんと自由になった。
フォローだけでなくフォロワーも全てチェックして、業者っぽいアカウントや実態の無さそうなアカウント、果てはなぜ自分をフォローしたかわからないアカウントというだけで、一方的にフォローを外しまくった。

気に入らない奴はどんどんブロックした。その過程でブロックもされた。
(Twitterの「このフォロワーを削除」機能には大変お世話になっている。なくさないで欲しい)

最終的にフォロワー数は、以前の3分の1以下になった。なったというか、したというか。
いつでも好きなことを好きなように、無責任に話すことができるようになった。嫌いなものは嫌いだと、敵意すら剥き出しにして言えるようになった。

…まぁそれはずっと変わっていない気もするけれど、一応の遠慮みたいなものすら無くなったと思う。社会的に超えちゃいけない一線は気を付けているつもりなので、たぶんゼロではないけど。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?