なんどもなんども繰り返して…夢中にはいっていく。

前回投稿した記事(アタマ探求から観察・ありのままの世界へ)とつながっているなあとおもい、、、元陸上競技選手の為末大さんの記事がとてもわかりやすかったので、紹介してみたいとおもいます。

“ 夢中になれないと悩む人は、常に何かのために行動するという世界観を生きてきています。何かのために行う行為は努力です。努力と夢中の境目は「将来のために行う行為」か「いまここの行為」の違いです。この境目は微妙です。微妙ですが、この境目が本人の集中に大きな違いを生みます。”

いま・ここ、、、のお話をされています。

“ もちろんどの行為も目的を持つことからは逃れられません。その中でもある時間だけそれを忘れて夢中になることできるかが問われています。

夢中とは意識無意識も含めた身体の総動員体制です。人間は無意識の世界の方が大きい。そこも含めてある対象に対し入り込んでいき、対象そのものと一体混然となる。それが夢中です。

自分で自分を観察しているとそこまでいけません。
常に何かを意識している人が夢中になれないのはそれが理由です。”

はじまりは目的(何かのために行動する)からはじまり、それを動機として繰り返し繰り返し…を行なっていくことは「努力をこえたところの夢中領域」にはいっていくための繰り返し…なのだとおもいます。

なんどもなんども、、、

おなじ振り付けを繰り返しやっていると、「自分でやろう、踊ろう」とおもわなくても勝手にカラダが踊り出す(起きてくる)のとおなじです。

それと馴染んで、、、

それが当たり前になって、、、

踊りがみずから踊りだす。

“ 夢中の練習は、自我を手放す練習でもあります。私であることを捨てて、対象に飛び込んでいく。これができる人は強い。いや、すでに幸せだから強くなくても構わないわけです。”

そのための、このなんどもなんども、、、ができるのは「それが好き、興味がある」だったり「いまあるここからどーしても抜け出したい」というような苦しみがエネルギーとなり起きてきたりします。

とくに動機が苦しみであるとき、、、、この努力の時期は辛いですが、その苦しみを原動力として繰り返し…繰り返し…試行錯誤しながらも繰り返す…ことによって、気づいたら、、、アタマが海面の上にでてきていて、、、あれ、、、なんか楽チン(夢中状態・いまここ…にいる)ということも生じてきます。

“ 努力では集中が弱い。夢中は本当に深く集中に入るので、得られるものも、出せる効果も大きいわけです。“ 

ぐるぐる思考(自動思考)を消すためワークの実践というのは、、、

畑を耕すように、、、



この深い集中(夢中)にはいっていくための繰り返し、、、この深い集中(夢中)が立ち上がってくるためのコンディション作りみたいなところがあるようにおもいます。


ウェルカムレイン☆サヤカ http://sky.holy.jp

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