ウェルカムレイン☆サヤカ

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ウェルカムレイン☆サヤカ

YouTubeチャンネル「非二元エッセイnon-duality sayaka tokyo」運営、三脳バランス研究所 にて非二元研究室を担当しています。Kindle本『 これ以外のなにかはない 』 https://lit.link/wrsayaka

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本日、Kindle新刊発売「 グッバイぐるぐる思考 」

本日、3冊目のKindle書籍を発売いたしました! 書籍タイトルは 「 グッバイぐるぐる思考 」自動思考が消えた、 右脳回帰した意識が味わう世界とは? こちらのKindleストアにてご覧いただけます📚 https://amzn.asia/d/875qIlh 4/25発売日前にして、みなさんの先行予約あって 「エッセー・随筆」部門を含む Amazon売れ筋ランキング3部門にて ベストセラー1位をいただきました!! こうやって注目していただくことで、、、 「自動思考」

    • Kindle新刊のお知らせ『 グッバイぐるぐる思考 』

      こんにちは!ウェルカムレイン☆サヤカ です。 本日は3冊目のKindle書籍発売のお知らせです。 書籍タイトルは 「 グッバイぐるぐる思考 」自動思考が消えた、右脳回帰した意識が味わう世界とは? 発売日は 2024.4/25 です。 ( 以下URLにて 先行予約受付中です!!) https://amzn.to/3TVsRGL 4/25発売日前にして、みなさんの先行予約あって カテゴリーランキング(認識論ベストセラー1位) いただきました!! ありがとうございます🙇

      • アタマからっぽになりやすいほうは「こっちの意識」です。

        こちらの記事をひと通り書いてみておもったのは、 「 自分 のことを気にしないでみる 」これは、そのようなご提案かもしれません。 というのも、、、 ぐるぐる思考(自動思考)が起きているときって まさに、自分のことについて 考えすぎている・気にしすぎている。 そのようにも言えるからです。 もし、自分以外の誰かのことを考えていたとしても、、、 そこには「その相手と自分という関係性」があって、 そこに「自分」という存在がつよくいるからこそ、 真剣に、または深刻に考えている

        • 我慢じゃなくって、、、プラス(足し算)

          自動思考を消したいんだけど、 ユーチューブ観るのが止められない… そのようなご相談もよくいただきます。 たとえば、、、、 なにか好きなこと、やりたいことを 「 我慢するという引き算 」ではなくって、、、 好きなこと、やりたいことはそのまんま!! そこにワークの実践を追加するという 「足し算」でやってみたらどうでしょう。 ワーク実践のポイントは 「マイペースでいいから、日々つづけること」 なので、そのほうが楽しく続けられるんじゃないかなっておもいます。 なぜなら

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          飽きるためにやっている(だから、それで正解)

          たとえば、、、 脱・ぐるぐる思考(自動思考を消す!)というような、 ワークの実践(繰り返し)をしていると 「 飽きる 」というテーマがでてきたりもしますよね。 そして、これは捉え方なのかもしれませんが、、、 「飽きる」ためにやっている であるなら、どうでしょう。 なんか、飽きた……つまらない……となったら ある意味「その目的を達成している」わけなので それで正解!!!なんです。 よしよし、飽きてきたゾ!!! なんです。 そんな具合でそのまま、、、 飽きる

          飽きるためにやっている(だから、それで正解)

          いまここにある本心・願いを教えてもらう(かんかくワーク)

          いわゆる「ネガティブ」とよばれるような 気持ち 考え 想い かんじ感覚、、、 そのようなものも遊び心をもって イマココを味わうような 「かんかくワーク」にもなりえます。 そのような ネガティブさ に気づいたとき、、、 「  その裏側 を 覗いてみてください 🍁 」 その裏側、、、反対側、、、、むこうがわ、、、 そこにあるものは、なんだろう??? ( もちろん、アタマで分析したりはしません ) いまここのかんじ感覚から教えてもらいます。 その 裏側 に意識をむけて

          いまここにある本心・願いを教えてもらう(かんかくワーク)

          いまここに「ない」ことに夢中になってみるのを止めてみる。

          大概、ぐるぐるしている思考って いまここに「ない」ものについてであることが多いです。 過去の記憶、思い出、、、 昨日や今朝の出来事というフレッシュな 「記憶」でさえ、、、 それは、もう、いまここにありません。 この動画でおつたえしていることも それは、いまここに「ない」ということに ฅ(º ロ º ฅ)ハッ としてみるということです。 ぐるぐる…思考できてしまうのも、 それがいまここに「ない」からです。 いまここに「もう、ない」 または「まだ、ない」ことについて

          いまここに「ない」ことに夢中になってみるのを止めてみる。

          なんどもなんども繰り返して…夢中にはいっていく。

          前回投稿した記事(アタマ探求から観察・ありのままの世界へ)とつながっているなあとおもい、、、元陸上競技選手の為末大さんの記事がとてもわかりやすかったので、紹介してみたいとおもいます。 いま・ここ、、、のお話をされています。 はじまりは目的(何かのために行動する)からはじまり、それを動機として繰り返し繰り返し…を行なっていくことは「努力をこえたところの夢中領域」にはいっていくための繰り返し…なのだとおもいます。 なんどもなんども、、、 おなじ振り付けを繰り返しやっている

          なんどもなんども繰り返して…夢中にはいっていく。

          アタマ探求から観察(ありのまま)の世界へ

          こちらの画像はネドじゅんさんが 2022年3/22にTwitter(現行X)にアップされた画像です。 前回の動画でもお話していましたが、 「ないない探求」は苦しいよーーー というお話をさせてもらっていたんですけど、 このネドじゅんさんの図でみると、、、 「頭」でやっている苦しみなんです。 ・ わたしはわたしを変えなくちゃ!< 頭の中、思考 > ・ わたしは変わりたい。< 頭で感覚を感じようとしている > アタマで変えよう変えよう(なろうなろう)としている探求 (

          アタマ探求から観察(ありのまま)の世界へ

          アタマじゃなくて「かんかく」を使って探ってみる…その方法。

          それもこれも、、、「かんかく」をつかって 探ってみてはどうでしょう? と言われて、、、 そうか!!! とやってみれる人もいれば、 そうでない人もいますよね。 そんなとき、、、 かんかくで探るって???(よくわからない) という場合にはまず、、、 アタマ、コトバ、左脳をつかっての 「答え探し」をやめてみる = 思考習慣をゆるめる その頻度を下げる、右脳優位な習慣化 三脳バランス研究所 的にいえば、、、 = その「わからない」をハラにおとしてみる 「アタマで

          アタマじゃなくて「かんかく」を使って探ってみる…その方法。

          “だれかやなにか”に神をみていたい。

          どんどん、、、悟りという夢がほどけていくと、、、、 なんでもない「 いまのこの現実がソレ 」だと気づくスイッチがはいっていきます。リアルにワンネス(非二元)をみるために、、、 いったん、夢(エンタメ)がこわれる必要があるんです。 現実逃避がおわらないと、 いまここワンネスにはぜったいに気付けない。 このあたりのことを一生懸命に語りかけている非二元スピーカー(YouTuber)なんですけれども、やっぱりみんな夢から出てきたくないのだなあ…っておもったりもします(無意識の

          “だれかやなにか”に神をみていたい。

          アタマが偉くなりすぎてしまった世界は平和になれたのか?

          ネドじゅんさんが提唱している 「 意識の座・アタマから下に降りてくること 」 そのあたりについて描写された oshoさんのポエムをご紹介してみたいとおもいます こちらは OSHO bot さまのツイートからの引用です。 --------------------------------------------- 世の中に愛以上の知識はない そして、愛のない人間たち 彼らこそ真の無学文盲だ なぜならば、生において現実の重みをもっているのはハートであって 知ではないからだ 至

          アタマが偉くなりすぎてしまった世界は平和になれたのか?

          悟りと願望実現でモヤっとしたとき。

          「 悟りとは探求が終わること…なのに引き寄せとか願望実現ってどういうことですか?それって「探求」終わってないじゃないですか… 」 これも探求中によく湧き上がる疑問であるようにおもいます。 それゆえに一般的にいうと「引き寄せと悟り」って相性が悪いというか、、、悟りやノンデュアリティ系の人たちからは願望実現的なものってバカにされがちであるようにおもいます。 でも、この疑問がわきあがってくる視点というのも、個の意識(自分ごと思考)が強いからなのだろうとおもいます。たとえば、、

          悟りと願望実現でモヤっとしたとき。

          悟りはない…ってことが「左脳さん」にはわからない。

          今日は、ウェルカムレイン☆サヤカ的 非二元ノンデュアリティ論です。 これについては一冊目のKindle本「これ以外のなにかはない」で絶叫させてもらっている内容です。 悟りは「いま・ここ」にない…別の“なにか”としてしまう、、、それが悟りノンデュアリティ非二元あるある (だから、あらゆる探求が起きてくる、あるあるです。) オデコの上のメガネが「ないない」という悟り探求  一冊目のKindleでは、ひたすら「これ」について書いてみました。 これじゃない「なにかがある」

          悟りはない…ってことが「左脳さん」にはわからない。

          自分で自分の太陽になってあげるんだよ。

          最近また「北風と太陽」の例え話をお伝えすることがあったので、こちらのテーマで書いてみようとおもいます。 北風と太陽のお話について、、、 「 ある時、北風と太陽が力比べをしようとする。そこで、通りすがりの旅人の外套を脱がせることができるかという勝負をすることになった。まず、北風が力いっぱい吹いて、旅人の外套を吹き飛ばそうとする。しかし、寒さを嫌った旅人が外套をしっかり押さえてしまい、北風は旅人の服を脱がせることができなかった。その次に、太陽が燦燦と暖かな日差しを照りつけた。

          自分で自分の太陽になってあげるんだよ。

          気づく、認める、味わう、寄り添ってあげる。

          「 思考ドラマ=じぶんドラマ=左脳ドラマ 」 こういうドラマ性がつよいときには、、、 「主体感・個の意識」がつよいなあ…とかんじます。 そういう “自分思考” を中心としたドラマ性が展開しているときには、 自分我(が)自分我(が)…という「 主体感のつよい体験ドラマ 」 気づく、認める、味わう、寄り添う、、、 以下の動画は、まず最初の「気づく」が起きてこない ( それは、なぜか??? )というようなお話です。 まず最初の「気づき」が起きなければ、、、 そのあとの「認

          気づく、認める、味わう、寄り添ってあげる。