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業を、純朴な愉悦に変えて。『蔡國強 宇宙遊 ―〈原初火球〉から始まる』

『蔡國強 宇宙遊 ―〈原初火球〉から始まる』は明日(8/21)まで。お盆時期に訪れていたが、書きあぐねていた。せっかくなので、メモは残しておこうかなと。

作品以外にも記録映像、記録写真などによって、初期の1980年代半ばまで遡ってキャリアを回顧している。想像以上に史料が多かったのは、彼の代名詞である大規模インスタレーションを会場に持ってくるのが事実上不可能だからということだろう。

《スカイラダー》記録映像

彼の発言も多く紹介されていた。『原初火球』展でせっかくブレイクしたのに、「活躍すればするほど収入が減り、生活が不安定になるという矛盾、家族や友人からの疎外感にも直面していました」と綴っている。大掛かりなプロジェクトが多いから、持ち出し(借金?)も多かったのだろうか。当時の俗っぽい苦悩に、つい親近感を抱いてしまった。

蔡國強を一言で表すなら「哲学する花火師」である。火薬、爆破を通じて、宇宙の誕生、根源に迫ろうとするのが彼のビジョンだ。むろん、スケールの大きさを誇示するような虚栄心は微塵も感じられない。どこまでも素朴でピュア。そのことは、世界的成功を収めてからも一貫している。長年続くいわき市との交流を捉えた数々のスナップ写真でほのぼのとなった。

新作も多く展示されていたが、中でも目を引いたのは、LEDを使ったキネティック・アート《未知との遭遇》だ。エイリアンらしきものや、アインシュタインの顔をなぞったものが見えてくるが、大人の遊び心というよりも、お絵かき上手な子どもが真剣に描いたって感じが蔡國強らしい。同じようなものを大竹伸朗が手掛ければ、稚気を装ったアダルトな猥雑感が出てしまうだろう。

《未知との遭遇》より

火薬で焼き付ける絵画が多いため、彼のキーカラーはこげ茶との印象があり、今回もそれは変わらない。2015年に横浜美術館で開催された個展では、99匹の剥製さながらの狼がガラスの壁に飛び掛かって阻まれるのを映像のコマ送りのように表現したインスタレーションがあったが、やはり狼のこげ茶に近い毛並みが記憶に残っている。

こげ茶は、どことなく「痕跡感」が出る。リアルタイムでそれ自体が何かを主張するというよりも、過去の事象の記録として佇んでいる感じだ。そういえば、人間の記憶にフォーカスしたクリスチャン・ボルタンスキーも茶系を好んでいたように思う。茶色は「遺構のベースカラー」なのだ。

蔡國強は「根源」を追い求めつつ、それが「いま、ここ」にはないことも自覚しているのではないか。でも、追い求めざるを得ない。そんな業のようなものを、あくまでも純朴な愉悦に変えて、創作に向かっている。「哲学する花火師」の素顔を垣間見た思いだ。

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