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「目利き」のリプレゼンテーション。『本阿弥光悦の大宇宙』

すでに終了してしまったが、トーハクで開催された『本阿弥光悦の大宇宙』が、視野を広げてくれる興味深いキュレーションだった。彼の一族が信仰した日蓮法華宗との関連を浮き彫りにしているところは勉強になった。そのあたりを深掘りするのはちょっと難しいけれど、せっかくなので鑑賞メモを残しておきます。

刀剣鑑定を行う名門・本阿弥家に生まれたことが、光悦の諸芸の根幹を成している。要するに、光悦の品々は、「目利き」によるリプレゼンテーションなのだ。

彼が総合芸術プロデューサー的なスタンスで活動したことは知られている。書の名手であったのは確かだが、例えば国宝として名高い《舟橋蒔絵硯箱》をはじめとする蒔絵や、「光悦本」とも呼称される謡本、人生後半に力を注いだとされる茶碗など、どこまで本人が関わっているのか、実は定かではないという。(マジ?)

しかし、今回の展示で集成された様々なカテゴリーの作品群に、共通した美意識を見出すのは、それほど難しくない。

《立正安国論》の写経は、楷書、行書、草書を書き分けた繊細なニュアンスが極めて巧みで、筆運びの臨場感をも伝えるが、決して瞬間芸ではなく、おそらくプランニングされたクールさがある。同じ書でも、散らし書きの妙を堪能できる和歌巻はさらに魅惑的だ。《花卉鳥下絵新古今集和歌巻》は若々しく勢い重視、《松山花卉摺下絵新古今集和歌巻》は円熟して余裕綽々。

そして、俵屋宗達とのコラボレーションである名作《鶴下絵三十六歌仙和歌巻》はやはり必見だった。宗達の鶴と光悦の書き散らしのコンビネーションが、高度にデザイン化されている。実物を見ると、とりわけそれがよく分かる。

さらに、両者のコラボ作《桜山吹図屏風》にも圧倒された。丘の稜線や道幅が大胆なバランスで描かれた絵の上に、和歌を一首ずつ書き記した色紙がちりばめられる。文芸+デザインといった趣のミクストアート。作り手のエモーションは、あくまで審美のフィルターを通して立ち上がる。本当に震えがくるほどの感銘を受けた。

光悦の作品は、「目利き」によるリプレゼンテーションだから、基底には傍観者の視点があり、だからこそ時代を超える洗練を持ち得た。それは確実に言えると思う。

とはいえ、手捏ねによる「光悦茶碗」のフォルムは、かなりアナーキーで、書よりも即興的、感覚的な要素が強い。素人芸と表裏一体という見立てもなくはないようだが、人生の後半(1615年以降)に傾注したというわりには、円熟とも枯淡とも距離を置き、むしろ挑発的ではないだろうか。

光悦は長生きだった。桶狭間の戦い(1560年/3歳)から島原の乱(1637年/80歳で死没)までのスパンがある。当時の日本はまさに激変期にあった。桃山から江戸に変わり、文化面においてもあらゆるフェイズで新旧の価値観がぶつかり、火花を散らしただろう。

光悦はそんなタフな時代を類い稀な審美眼で生き抜いた。その成果は、50年以上が経ち、尾形光琳に引き継がれることになる。

光悦が現代に生きていれば、DJ/プロデューサーとして活躍したかもしれない。マルコム・マクラーレンやジャイルス・ピーターソンみたいに。

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