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『夜明けのすべて』は贈与の映画である。

藤沢(上白石萌音)はPMS(月経前症候群)、山添(松村北斗)はパニック障害を患い、それぞれ生きづらさを抱えている。ああ、そっち系? その種のドラマは正直あまり好みではない。序盤、藤沢のナレーションが延々と流れ、なんだか説明的だな、とさらに警戒を強めたほどだ。監督の三宅唱がインタビューで明かしているとおり、彼の過去作ほど各ショットは作り込まれておらず、自然なフローが意識されているためか、とっつきやすい反面で画面の強度はそれほど高くない。しかし、結論としては、三宅らしい凛とした余韻を醸す仕上がりだった。

本作に通底するテーマは、贈与である。

藤沢と川添の2人は、ケアを受けてしかるべき状況にある。しかし、彼らはただ「与えられる」だけではない。本作では、彼らが他者に「与える」行為が散りばめられており、不思議な奥行きをもたらしている。

藤沢は、しばしば職場にお菓子を差し入れする。普段迷惑をかけていることの埋め合わせというか、マイナスをせめてゼロに戻したいというけなげな心理が透けて見えるが、見返りを求める類いのものではないのは確かだ。後輩の山添には、彼女なりに気を遣って(それはそれで外しているのはご愛敬だが)、漬物をわざわざ選んで買ってくる。

さらに、山添がパニック障害持ちであることを知った後は、さまざまな形で彼に物を贈るようになる。お見舞いのスポーツドリンクやおにぎりは分かるとして、自分の自転車を譲り渡すとなると、ノーマルなレベルを超えてくる。初詣で購入したお守りを留守宅のポストに預け、その場で鉢合わせした山添の恋人にも、屈託なくお守りを分け与えてしまう。本作のポイントの一つは、藤沢と山添の間に恋愛感情を持ち込まない作りになっているところだ。だからなおさら無償の崇高性が引き立っている。

(C)瀬尾まいこ/2024「夜明けのすべて」製作委員会

しばらくは藤沢の歩み寄りが目立ち、山添は心を閉ざし気味だった。やがて山添も、藤沢が病を抱えていることを知り、その後は「助けられることはある」というセリフに象徴されるように、彼女をフォローする姿勢が生まれる。年末、職場の大掃除の最中に藤沢の発作を感知した山添は、駐車場に彼女を呼び出して、社用車を一緒に洗うよう促す。これはおそらく、気を紛らわせようとする彼なりの配慮、つまり「施し」と言っていい。いささか慌ただしいシーンなのだが、初めて2人が「お互い様」となった協和の瞬間として、とても美しい内実がある。山添が職場に差し入れし、その場のみんなが意外な表情を示すシーンも登場し、思わず顔がほころんでしまう。

(C)瀬尾まいこ/2024「夜明けのすべて」製作委員会

2人の勤め先の社長は弟を、山添の前職の上司は姉を、痛ましい形で亡くしている。身近な人の非業の死は、残された者に埋めがたい欠落をもたらす。それは、強奪された感覚にも近いだろう。しかしながら、社長の亡き弟が残した肉声や資料を基に、藤沢と山添が協力して、会社の新しいプロジェクトを形にしていくプロセスは、強奪どころか、まさに死者からの贈与なのである。

会社のドキュメンタリービデオを撮るために取材に訪れている放送部所属の2人の中学生は、そんな大人たちを外から客観視する立場にある。と言っても、純朴さがにじみ出る等身大の中学生として造形されているのが好ましい。インタビューで率直な質問を投げかけられた社員たちは、あらためて自分を見つめ直す。これらの質問にも、贈与の要素が見て取れる。それによって大人たちの胸中で混沌が整理され、クールダウンされるのが興味深い。前述した洗車のシーンでは、それを上階から興味津々な様子で眺める中学生たちを真横からとらえたショットが効いていた。

(C)瀬尾まいこ/2024「夜明けのすべて」製作委員会

それにしても、エンドクレジットの最後の最後、あのシーンは偶然なのか、台本通りなのか。偶然だとしたら、映画の神はいるということだろう。まるで映画の神からの贈り物(=贈与)のようだ。

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