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来日していた韓国アイドル第1世代

今では当たり前のようにK-POPアイドルたちが日本でも活躍していますが、2000年代以降に登場した第2世代アイドルの活動が目立つまでは日本で活動する韓国アイドルグループは珍しかったのです。今回は主に1990年代に日本進出していた韓国のアイドルグループをご紹介します。

※日本デビューした韓国アイドル

■ソテジワアイドゥル

『1994年 PAX MUSICA大阪公演』に参加したソテジワアイドゥル

1994年にアンティノスレコードから日本デビュー。第1世代のアイドルグループが登場する前に日本進出していた。日本のテレビ番組「アジアNビート」等の出演やファンクラブイベント・コンサートも行い、日本盤のファーストアルバム『ソテジワアイドゥル(1集+2集)』、セカンドアルバム『渤海を夢見て(3集)』も発売された。

アンティノスレコードより発売されたソテジワアイドゥルの日本盤アルバム

日本デビューの際に同じレコード会社に所属していた日本のダンスユニット・B☆KOOLとの交換条件としてソテジワアイドゥルが日本デビューすると同時にB☆KOOLも韓国でデビュー。1994年4月大阪ATCホールで開催されたアジア友情コンサート PAX MUSICAに韓国代表歌手として参加した。

■S.E.S

1990年代後半~2000年代初頭まで日本でも活動したS.E.S

1998年に日本デビュー。韓国での所属事務所だったSMエンターテインメント側は当初、同事務所所属の男性アイドルグループ・H.O.Tを日本でデビューさせるつもりだったが、当時の韓国では兵役未了の男性が海外を頻繁に行き来することは難しかったため断念し、代わりにS.E.S.が日本進出第一号になったという。また当時の日本では、SMAPやKinkiKidsなどジャニーズ全盛期だったこともあり、男性アイドルグループ同士比較されるのを避けるため、男性グループたちを進出させなかったという理由もある。

V6のメンバーだった井ノ原 快彦主演の舞台「東亜悲恋」で共演したシュー

2000年5月、エイベックスに移籍。メンバーのシューは神奈川県出身の在日韓国人3世で日本語ネイティブのため、日韓両国でV6とデュエット曲「One」を発表、またV6メンバーの井ノ原快彦主演の舞台「東亜悲恋」やデジタルフォトドラマ「NO KISS」にも出演した、井ノ原もS.E.S.の楽曲「Just A Feeling」のミュージックビデオに出演し、3人とダンスパフォーマンスで共演した。

日韓両国でV6とS.E.Sのデュエット曲を発表した / V6 feat.Shoo

少年誌のグラビア掲載や「THE夜もヒッパレ」・「恋ボーイ恋ガール」・「DAIBAッテキ!! 」などにも出演していたが、当時はまだ韓流ブームが起きる前で韓国芸能に対する関心が低かったために日本でのセールス的には不本意な結果に終わった。日本の芸能マスコミでは当時、日本の人気アイドルグループ「SPEED」になぞらえ「韓国のSPEED」として紹介することが多かった。

■Baby V.O.X

日本デビュー当時のBaby V.O.X / ライブ公演

2003年に日本デビュー。2000年頃から「渋谷 On Air West」や「横浜国立大ホール」などで日本ファン向けに定期的なライブを行っていたが、2003年に日本盤ミニアルバム『Go』を発売した。アルバム収録曲のGoはテレビ東京で放送されていたTVアニメ「プラトニック・チェーン」のテーマソングに起用された。他にもライブやイベントにも参加したが、本格的な活動には至らなかった。

※日韓合同アイドルグループ

■S.O.S

韓国初の韓日合作ガールグループとして日本でも活躍した / S.O.S

1993年に日本デビュー。グループ名はSensational Oriental Sound = 感覚的な東洋の音という意味で名付けられた。日本のアイドルグループから影響を受けた韓国アイドルの1つで日本のテレビ番組に出演したり、日本語版の楽曲も発表し、日韓の並行活動を試みるなど当時としてはとても破格的な活動をした。

■NON-STOP

11人のメンバーで構成された日韓合同のアイドルグループ

1998年にデビューした韓国初の11人のメンバーで構成された日韓合同の男性アイドルグループ。日本ではデビュー及び活動は一切していなかったが、韓国の芸能会社と日本のレコード会社ソニー・ミュージックとの共同で企画され、SUPER JUNIORが登場する前に活躍していた10人以上で結成された大人数のアイドルグループである。『無法天地』という代表曲があるが、1集活動終了後、グループは解散したため、企画モノのアイドルグループといった印象で終わった。

■Circle

大阪 HMV心斎橋で行われたCircleのデビューイベント

1998年に日本デビュー。韓国の朝鮮音響と日本のソーマオフィスの共同企画で結成された韓国初の多国籍アイドルグループであり、後年にデビューするA'st1、TWICE、IZ*ONEといったアイドルグループの先駆け的存在である。デビュー前にNHKBS2で放送されていた「新・真夜中の王国」に出演し、その後も日本テレビの「夜もヒッパレ」などにも出演しながら、イベントなども行った。

■Y2K

日本人2名と韓国人1名で構成された男性アイドルバンド

1999年にデビューした韓国人1名(高在根/高載根、コ・ジェグン)と日本人2名(松尾雄一、松尾光次)で構成された日韓合同のアイドルバンドである。女性グループのCircleと同じく朝鮮音響からデビューし、韓国で人気を博す。日本デビューはしていなかったが、2000年に日本人メンバー2人がDOGGY BAGという音楽ユニットを結成し、日本でデビューした。

※デビューはしていないが、来日したことのあるグループ

■SechsKies

1998年に日本へ訪れたときのSechsKiesのメンバー6人

1990年代後半~2000年代初頭までH.O.Tとライバル構図を形成して人気を博したSechsKies。2017年(再結成時)に日本デビューする前、1998年に東京のタワーレコードなどでのイベントや日本のファンとの交流のために一度だけ来日したことがある。

■FIN.K.L

日本で発売されたFIN.K.Lの写真集『FIN.K.L in TOKYO』

1990年代後半、SMエンタテインメントのS.E.Sと共に大人気を得ていた4人組のガールズグループ、FIN.K.L。1998年に写真集の撮影のために来日したことがあり、このとき撮影された写真は実際に『FIN.K.L in TOKYO』という写真集として日本で発売された。

■1TYM

『SuperStar from SEOUL 99』でパフォーマンスを披露する1TYM

YGエンターテインメントからデビューした4人組のヒップホップコンセプトの男性アイドルグループ。1999年に来日し、韓国文化院開院20周年記念イベント『SuperStar from SEOUL 99』に参加。さらに2005年に発表した楽曲「One Love」・「How Many Times」のプロモーションビデオも日本で撮影するために再度、来日した。

■H.O.T

日本では『韓国のSMAP』として知られていたH.O.T

1990年代後半、韓国の国民的アイドルグループ的存在だったH.O.T。韓国国外でもファン層が存在し、日本では公式にデビューはしていなかったが東京にファンクラブが作られており(CLUB H.O.T JAPAN)、2000年には日韓合作のH.O.T主演映画『平和の時代』(Age of Peace)のプロモーション活動や上映会イベントなどに出演したり、日本のファンとの交流のため定期的に来日していた。またデビュー当時、毎日放送制作の『たかじん・ナオコのシャベタリーノ!』、日本テレビの『超アジア流』など日本のテレビ番組でも紹介されていたこともあり、2001年にはavexからオリジナルアルバム(日本盤)も発売された。

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