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「小高い山」で、じぶんらしく生きる。

天気がいいから「散歩しようよ」ということで、公園に行ってきました。芝生のうえで裸足になって、そよ風が心地よかったですね。

で、冒頭の写真を撮りました。

はじめは「ちょっとおもしろい写真が撮れたな」くらいにしか思わなかったんですけど、あらためて見ていたら今回のnoteを書くに至りました。


小高い山に、なにやら満足げに座っている。

まわりにも小高い山がいくつかあって。

それらは色などが違ったりしていて様々。

気が向けばほかの山にもひょいと行ける。

まるで小さなネットワークが相互につながるインターネットのよう。


じぶんらしくいられる居場所って、それほど大きくなくていいし、広くなくていい。小高い山くらいがちょうどいい。気が向けばふらっと別の山へ行けるほどに、なんて思ったりして。

もちろん「うちはうち、よそはよそ」という感じで他を寄せ付けないような閉鎖的で険しい山があっていいのでしょう。高い山を目指すような強い精神もすばらしいと思います。

だけど「どんどん高く」「とにかく上へ」といつも登っているばかりじゃ、まわりが見えなくなるんじゃないかな。

そういう意味で、小高い山くらいがちょうどいいかな、と。


じぶんが使っている「Mastodon」というSNS。それぞれが小さなサイト(インスタンス)を立ち上げていて、相互にゆるくつながる世界。そこから中央集権でなく《分散化》という時代の潮流が見えてきます。

自ら立ち上げた新しい住まいの形「ギルドハウス十日町」。そこでいろんなひとたちと交流するなかでも、このnoteで書いたように

《こうでなければいけない》という価値観が変化・多様化していき、個人がもっとたくさんの権限とともに生きていける時代

というのを感じます。

中央集権や一極集中のすべてが悪いとは言わないけど、その代わりになくなってしまった多くの小高い山。それらを作ったり見つけようとする動きが、少なくともじぶんのまわりで確実に増えています。

よかったらサポートをお願いします。もしくはギルドハウス十日町へ遊びにいらしていただければうれしいです。