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全ては何でもいい。それが終点

もう何でもいい
ネガティブでもポジティブでもない。何でもいい
何があっても何でもいい。何が起きても何でもいい。
世界がどうなっても何でもいい。悲しいニュースを見ても何でもいい。多分そういう風に思えなくなると多分成長はしなくてもよいですと課題は全て完了になるのだと思う。

でもそのマインドは結構難しい
一見簡単そうに見える何でもいい何だけど、人間というのは黒か白か決めれないと気持ちが悪い。
誰かが賛同してくれないと寂しい。一人だけ人と違うのは怖い。そういう生き物だから、全てがどうでもいいと思っても100%どうでも良くはない。

でも多分精神的なものから見れば
どうでもいいという状態は無の状態で、無の状態というのは無敵の状態。良いも悪いも知り尽くしちゃって、どちらが起ころうともどうでもいい。何が起きても不思議ではない。死ぬも生きるもどうでもいい。という結論になるのだと思う。

ひえええそんな末恐ろしい考え到底無理だ!!
そう思うのは人間として普通の反応なんです。
ただ、全ての物事が徐々に幻想のように思えてきて、生きているという現実でさえ何だか絵空事の様に思えてくるのです。例えば今のおかしな政治だったり、全てを支配する物にだったり、そんなものに対しても何処か上の空。
現実のようで何処か浮世離れした出来事の様に思えてくる。なんか現実が現実でない様に感じてしまう。

そうか、結局どうでもいいのだ…。

どうでもいいから怒りもせず、悲しみもせず、ただそれらを現実だと捉えきれないのだ。
ありもしない現実をあたかも真実のように流す情報にでさえ何処か別の惑星での出来事の様に感じる。

それらがとてつもなくどうでも良いものに感じてしまう。

そんなマインドに至った時
全てが一致していく。
カチッと何かがハマる音がして、全てが統一されていく。
今まで見えていた多くのものが急に吸い寄せられて、一つの球体に収まっていく時。
これが世界の全てなのだと気がついていくのかもしれない。

まるでドラえもんが出す便利なアイテムのように
手のひらに収まるほどの小さな球体でしかなかったとするのならば、そうかこんなものだったのだと気がついてしまう。これが世界の真実であり、これが僕たちが長年見ていると思っていた世界だったんだと。

僕は時折家にやってくる一匹の迷い猫を見て思う。
彼は何処からともなく現れて、いきなりふいっと消えてしまう。まるで別の次元から急に現れては消えていくかのように、いつの間に姿が見えなくなってしまう。

彼からすれば多くの物事等どうでもいいかの様な表情で
ただ目の前の現実に目を向けているだけ。
それに良いも悪いもなく、何かにすがるわけでもなく、何かに後悔を覚えることがなく、ただ表情を変えずに飄々と姿を消していく。

その子を見ていると
世界で起きている現場など小さな物事だと感じてしまう。
きっと彼は世界が終わる日であろうとも、いつものように飄々現れてはいつの間に消えていくのだろう。
自由気ままでありながら途轍も無く達観した存在の様に思えてくる。

そうかどうでもいいのだ
どうでも良かったのだ。

だから何が悪いでも、何がいいでもない
何がどうでも何でもいい。何でもいいから、何にでもなればいい。ただ好きなように存在すればいい。
どうでもいいから、何でもいい。

少しだけ全てが知事妻があって来たように思えてくる

そうか何でも良かったんだ。

何も難しい事はなかった

ただ何でもいいよって言葉が一番心が良いものだったんだ

少しだけ理解が出来て来たかもしれない…

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