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人の未来が見える。それは果たして幸せなのか不幸なのか。    百田尚樹さんのフォルトナの瞳を読み終えて

もし自分に人の死の未来が見えたのならば、自分はどうするだろう?自分を犠牲にして人々を助けようとするのか?人々を見殺しにして大切な人の為に生きていくのか?

一見究極の選択の様に見えますが
僕達だってその能力がないにせよ、生きていく中で多くの選択をしています。
そして自分の選択によって未来の道が開かれていく
全てそういった付箋を回収しながら僕たちはこの世の中を生きているという事です。

僕が主人公の立場になったとき自分の身を呈して人を助けようと出来るだろうか?それが果たして幸せに繋がるのだろうか?それがこの物語のキモとなる部分ですね!


あらすじです。

人の死が見えてしまう能力(フォルトナの瞳)を持つ青年木山慎一郎は車磨きの工場で働いている。幼き頃に家族を無くし孤独な生活をしてきた彼は、人一倍繊細で優しい性格を持っている。ある時電車に乗ると手首から下が透けている男を見かける、不審に思った慎一郎は彼を尾行してみると目の前で通行した車にはねられ亡くなってしまった。
自分には人の死が見える…。何故自分にはそんな能力があるのだろう?いつしか道行く人々の死が見え始め、やがて自問自答する日々を送ることになります。
とある携帯ショップで働く桐生葵との出会いによって彼の心の闇が解かれていきます。やがて恋人となり、彼の人生において初めての幸福を感じる事になりました。
多くの人の死が迫っている、自分はそれを止める必要がある、だけど同時に自分の幸せを手放す事になるのだろうか?

そして慎一郎が選んだ最後の決断とは…。



ミステリー調でありながら少し恋愛ものでもあるフォルトナの瞳。百田尚樹さんの作品はカエルの楽園のみしか読んだ事がありませんでしたが、とても良い作品でした。

作中で度々出てくるバタフライ・エフェクト。
たった一つの行動や出来事によって人の未来が大きく変わってしまう。1日の中で多くの選択を人はしているそうです。その選択によって自分の未来が変わっていくなんてなんだか不思議です。

自分を犠牲にして人の未来を救うべきなのか?
それとも人の犠牲を無視して自分の幸せを取るべきなのか?
自分を犠牲にすることで悲しむ人間がいる、ですが人々を犠牲にすることで更に多くの人々が悲しむ事になる。
人は未来を知ることがないから今現在を楽しんで生きていく事が出来ますね。

ですが自分の友人、家族、恋人の死が見えてしまったら?道行く人が死ぬ運命にあったのなら?
自分はどうするのだろう?助けようとするだろうか?
それとも自分には関係ない、自分の幸せだけを願って生きていくのだろうか?

何度も読み進めていく内に僕は何度もその言葉を自問自答していました。人の運命を変えようとしてはいけない。
その言葉を慎一郎に告げた同じ能力を持つ黒川という医師。人の運命を変えようとすると自分を滅ぼす事になりかねない。彼もまたフォルトナの瞳を持つ能力者でした。

その言葉のを聞いた後から
慎一郎はずーっと心の中で自問自答し続け、答えを出そうとしていました。何度も何度も時には自分自身の心を痛めつけていきましたが、そんな彼の心を癒やした桐生葵という存在。大切な人を守りたい、寄り添って生きていきたい。そんな彼女の存在が彼の気持ちを強くしてくれました。

おおよそ400ページちょっと位の丁度よい尺の物語で、割と一気に読んでしまいましたね。
少し非日常的ではありますが、時折僕もふと考える事があります「もしここで大きな出来事が起きた時、自分は身を呈して助けるべきなのか?それとも自分を大事にしてくれる人のために自分を守るべきなのか?」と
誰かを待つ人のために、必要としてくれる人のために
自分はどうするべきなのだろうかと考えると胸が苦しくなるときがあります…。

そんな常に究極の選択を強いられている主人公は
中々に大変な状況を生きている事になりますねw

最後につくづく僕にはそういう能力が無くて良かったなと思いますwまぁあれですよ…何がどうであれ平凡な人間が一番ってやつです。

うん、毎日楽しい事を考えて、美味しいごはんを食べて
夜床につけて。それが一番かもしれませんね!
もし自分の未来が長くない…。そんな事実があったとしても、今楽しいと思えるならばいいじゃないか?


人間先が見えないからこそ幸せなのかもしれませんね。


それではまた👀👀👀👀👀👀👁️‍🗨️👁️‍🗨️👁️‍🗨️

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