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ひらがなエッセイ #3 【う】

    気に入った小説や映画のDVD、またはCDや漫画本などを勧め合おうぜってな具合に色んな人と色んなモノを交換し、誰に何を借りたのか、誰に何を貸したのか、何が何だかわからないまま過ごしていて、あの小説が読みたいな、なんて、本棚をほじくり返しても行方知れず、誰に連絡を取っていいのかもわからず、夜空を見上げて暮らしているのが、嘘偽り無く私の日常である。元より収集癖なんてものは持ち合わせて無く、物に対しての愛情が薄い上に、部屋の質量が自身の足枷だと信じて疑わない事も相俟って、物がどんどん減っていき、用途不明の黒板みたいな物しか無い。何に使うんだこれは。良いものはすぐ人にあげたり貸したりしてしまうのだ私は。そして、今、何処の誰に貸したのかわからないが、たまらなく読み返したくなったのが【うろんな客】という絵本なんだよ、知らない? 誰に貸したか。

    高校生の頃、同じクラスにとても可愛い子がいて、その子に会えるのを楽しみに、遅刻もせず、欠席もせず、3年間暮らした。卒業式では皆勤賞の賞状を頂き、先生達からは激励の言葉を幾つも頂いたが、思い返せばあの子に毎日逢いたいだけだったなぁ。修学旅行で告白して振られたんだけど。あはは。それでも何かしらの縁があって、数年前の夏に、何処かへ行きたいから連れてって、なんて突然よくわからない連絡があり、よくわからないまま、じゃあ、ここ行こうぜ、なんつって、軽井沢絵本の森美術館に2人で一泊旅行した。一泊旅行、って聞くと、おいおい、あれじゃないんですか、大人の、男と女が同じ部屋で、え?   あれなんでしょう、なんて、にやけた顔して擦り寄ってくる奴等がたくさん居そうなもんだが、同じ部屋で、それも同じ布団で眠ったのにもかかわらず、そういう関係は無く過ごしたんだ、不思議でしょう。それもこれも、我らは絵本の世界に没頭し、布団の中で絵本の世界について、夢か現実か分からなくなるまで話し合っていたからであって、おかしな人だと思ったけれど、遠い昔にこの人を好きになった自分の感性はやはり特別だったんだな、と、自意識と美意識を過剰させながら眠りにつき、朝目覚めて、そうそう、私、結婚して東京に行くの、ありがとう、と言われて、何がありがたいんだかわからず、恍惚と遺憾の狭間で揺れながら、あぁ、いえいえ、風邪などひかぬようお元気で、なんて素っ頓狂な言葉を発し、何それ、と笑われたっけ。そして別れ際に1冊ずつ絵本を交換して、それからは1度も会う事なく今に至る。

    その時貰ったのがエドワード・ゴーリーの【うろんな客】という絵本。意味のわからない生物が家に住み着いてイタズラを繰り返すという、まぁ、よくよく考えても意味がわからない絵本なんだが、絵のタッチなのか何なのか、とても好きでたまに読み返したくなるんだが、前にも書いた通り、思い出の善し悪しに関係無くそういったものをすぐに人に貸して、誰に貸したか分からなくなる私は、そういった衝動に駆られても読み返せず、その内に、まぁ、どうでもいいか、と、酒なんか飲み始め、世界は素晴らしいな、ありがとう地球、なんつって、眠りにつき、犬にくるみパンをちぎって投げる夢なんか見たりして、目覚めた頃にはすっかりと忘れてしまっているのだ。

    童話作家のアンデルセンは「すべての人間の一生は、神の手によって書かれた童話にすぎない」という言葉を残した。自分の人生が童話なら、あと何ページで、どんな結末を迎えるのだろうか、なんて、たまに他人本位になり人生を委ねる空想をする。色んな事を自分の意思で決めて行かなければならない人生の中で、そういった空想の時間を持つ事は、有意義とは言わないまでも、価値のある事に思える。

When they answered the bell on that wild winter night,
There was no one expected—and no one in sight.

日本語訳:風強く 客もなきはず 冬の夜 ベルは鳴れども 人影皆無

— 後掲【うろんな客】より、物語の第1ページ目を引用

    

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