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死にかけた話と、真ん中長女症候群の話

※若干汚話注意。


小学校高学年の頃、虫垂炎の手術を受けた。

夕方から腹痛がひどく、夜には痛みで動けないほどだった。母親に訴えると「盲腸じゃないか」と的確な判断をしてくれたが、病院が開くまで我慢しなさいと言われて一晩耐えた。
未だになぜ救急車を呼ばなかったのか謎だ。

朝になり、病院へ行くと、母親の見立て通り虫垂炎だった。
その場で手術が決まり、手術着に着替えた。
細かいことは覚えていないが、手術室で全身麻酔を受けて、気が付くとストレッチャーで名前を呼ばれながら病院の廊下を移動していた。術後に病室へ移るところだった。何度も呼ばれているのは分かっているのに、声を出すことができなくて、体に力も入らず、「そんなに大声出さなくても聞こえてます…うるさい…」と思っていた記憶がある。

次の記憶は、酸素マスクを付けられ、まだ麻酔で体が動かず、暗い部屋に一人で横たわっている状態。誰もいない、静かな空間。ドアは開いていて、廊下の明かりが四角く切り取られている。

明りに人型の影が現れた。母親だった。

「帰る前にもう一度顔を見に来た」と言って、動けない喋れない私を見て、「また明日来るね」と去ろうとする。

私は、必死に手を伸ばそうとするのだけど、力が入らない。
待って、行かないで。

やっとの思いで、小さな声を振り絞った。

「助けて」


その瞬間、酸素マスクの中で、盛大に嘔吐した。
母親が慌てて駆け寄ってきて、酸素マスクをずらしてナースコールを押す。私の記憶はここまでだ。

後から聞いた話によると、私は死ぬところだったらしい。もしあの瞬間に母親がいなければ、麻酔で仰向けのまま動けない私の喉に吐瀉物が逆流して、窒息死していた。

暗く静まり返った孤独な闇の中、横たえられた身体は金縛りにあっているように動かない。急激な不快感とともにせり上がったものが、内臓の痙攣と共に口から溢れ出る。しかし口と鼻に被せられたマスクがそれを逃さない。一部はマスクに堰き止められ、一部は口から、一部は鼻から体内へ戻っていく。そうして吐瀉物で溺れ、一人苦しみながら死んでいく―――


と、私的には命の危機として割と重大事件だったのだけれど、母親的にはそうでもないようで。
私が退院した少し後に、妹が風邪をこじらせて入院したのだけれど、後々「妹は死ぬところだった」という話は何度も聞いたが、私の話は数回笑い話のタネになったくらいだった。

一度、また「妹は死ぬところだった」話が始まった時に、「私も死ぬところだったんだよね」と振ってみたら、「大したことじゃない」と言われて衝撃を受けた。

妹は産まれた時に黄疸で死にかけているため母親も父親も「大事にしなければ」と思っている、という話を高校生の頃に聞いたのだが、そういうところがね。私の「真ん中長女症候群(※)」を大きく育てたのだと思うのだよ。

上の子より下の子に手をかけちゃうのは分かる。私も親になって実感する。でも、心は平等にかけられると思う。同時に大事にできなくても、順番に大事にすることはできると思う。

だから私は、次男の世話をした後は必ず長男と会話したり、抱きしめたり、時間が無くても頭を撫でたり「大好きだよ」と伝えたりしている。家事の最中、一人遊びをしているようでも、寂しそうな気配があったら抱きしめる。「寂しいの?」と尋ねると、それまで平気な顔でゲームしてても「うん」と笑顔でしがみついてくるから。

私が親兄妹と過ごした日々は、私の心をぼろぼろにしたけれど、だから私は自分の大切な子どもたちが心をぼろぼろにしないように立ち回れるのだと思えば、あの日々は重要な修業期間だったのだと納得できる・・・わけではないけど、まあ。いいかなって今は思う。


(※)真ん中長女症候群・・・真ん中っ子症候群と長女症候群を合体させた造語。恐らくどちらも医学的には扱われていないが、特に長女症候群は実例を思い浮かべる人も多いのではないだろうか。私は兄と妹に挟まれた真ん中長女なので、真ん中っ子であり長女なのだ。その為、より家族によって心を病みやすい環境だったと思っている。
だから、誰かが悪いとかじゃなくて、環境のせいだよって。思うことにしている。


ここまでお付き合いいただいて、ありがとうございました!あなたにいい事が起こりますように。 何かにもがいて苦しい人へ。その苦しみを、ちゃんと吐き出してください。ここで待っています。 https://www.lively-talk.com/service