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(仮)六花に抱かれて――

 寒さが厳しい年末。時はいつの時代だったか。最果ての集落に降り積もる雪は、辺りを真白に塗りつぶす。

 吐息は白くなり凍え、身震いもする。

 夜が明けるころ、東は茜色が藍色を押し上げていた。雪道をゆっくりゆっくりと慎重に、少年は少女を担ぎながら、歩を進める。

 少女は病に臥せっていて、突然に「外に行きたい」とかすれた声で懇願してきた。言われた少年も同じく、流行病はやりやまいで、身体は倦怠感に襲われている。

 ふだんからわがままを言わない少女の願いを、頼みを受け入れようと少年は、動かぬ身に鞭を打って少女を担ぐ。

 細腕を首に回し、腰を支えるようにしっかりと抱き寄せて。




 どれほど歩いただろうか。時おり振り向けば、少年が残した足跡がくっきり刻まれている。

 寒さも冷たさも、痛みまでもが解らなくなってきた。この丘の先に、少女が行きたがっている場所がある。

 少年がはじめていくそこには、立派な巨木が一本だけ生えている。大人三人で手を繋いで囲っても、足らないほどの太い幹。幾重にも広がる枝は、花や葉をつけていなくても見応えはある。雪を冠した姿は、健常なときだったら虜になっていただろう。

 体力が著しく衰え、霞んでしまってもそれだけは鮮明に映えていた。

 少年は思わず息を呑む。世にも美しい樹氷、それを死ぬ間際に拝めるとは。


「……ここは、……氷桜ひょうおうが宿る……樹木。私の師匠」


 途切れて語る少女は、あとは自分で歩くと言って、少年から離れてたどたどしい歩幅で歩み寄る。手が幹に触れたとたん、膝から崩れ身を倒す。少年は焦って駆けつけたいが、自分の身体も言うことをきかずによろめく。

 少年は少女を仰向けに抱え、身を案じる。


「ごめんなさい……。無理をさせて……しまって。みこと、氷桜は、師匠は縁結びもして……くださるの。生きた肉体ではなく、魂の、来世への約束を……してくださるそうなの」


 少女の顔はすでに土気色で、生気を感じない。尊と呼ばれた少年は、それを聴いてわずかに熱を取り戻した。

 言わんとすることが伝わる。想いは一緒だった。


「尊、……私とともにいて、……幸せでしたか?」


 体力的な言葉の途切れではなく、後ろめたい感情が見え隠れするような、やや怯えた声音。

 尊は少女の手をとり、精いっぱい握る。そんなことはない、と。

 聴覚が生きているかはわからないが、尊はその問いに応えた。


「夕霧、私はそなたと……逢えたことが、なによりも……一番の慶びだ。幸せだ」


 想い人の名を呼び、瞳が大きく見開いて揺れるのを気配で感じた。

 吸い込む息は徐々に残りの体温を、無慈悲に奪っていく。けれどもなかに籠る心の熱は保たれたまま。

 もう声がでないのか、かすれた声で「嬉しい」のひと言が聴こえた気がした。震えながら伸ばす手は、尊の頬に触れ、存在を確認するように撫でる。尊も夕霧の頬にそっと、口をつける。

 ひらり。はらり。

 雪ではない小さな、なにかが舞い降りる。尊はのろりと顔を上げれば、季節ではない桜が、薄紅の花が満開に咲いていた。


「これは……」


 なんの夢だろうか。あぁ御迎えなのかと、解釈した尊は自嘲ぎみに微笑む。

 それにしても圧巻だ。六花りっかと桜の共演はじつに見事。


「氷桜、……私たちは……もう……」



《人間とは、儚きものよ。夕霧、おまえの願いをしかと受け取った。案ずるな》


 樹木の傍らに地まで伸ばした白銀の髪、透き通るような白い肌、空色の着物を召した雪女が顕現した。夕霧は気配で感じ、そちらに向かってにっこり微笑む。口が形作ったのは、


『ありがとうございます』


 瞳は閉ざされ、尊も夕霧の胸に頭をおく形で臥せる。

 ふたりはもう二度と動くことはなかった。




 東から太陽がのぞきこみ、地表を明るく照らす。

 樹木に添うようにしているふたりの亡骸を、氷桜は見つめる。互いに幸福に満たされた笑顔をしていた。


 

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