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立ち止まる時間

 冬の透き通った陽射しが銀座の表通りを包んでいる。平日のまだ朝の空気が残る時間帯だと言うのに、往来のヒトが絶えないのは銀座という土地柄で、一つ用事を済ませて、次の予定まで時間が出来たものだから、旧知のカフェに立ち寄って少し温まることにした。その店は、表通りに面した階段を螺旋に降りてゆく地階の先にあるもので、一段一段と靴音を鳴らしながら降りるに従って、外の明るさとヒトの騒めきが次第に遠いものになり、辿り着いた木の扉を開けると、異世界のような空間、それは木目にまとめられた落ち着いた内装というだけでなく、静かに名曲の調べが流れる、誠に穏やかな、ひと昔もふた昔も前に戻ったかのような、時代を錯覚させる懐かしくも暖かい世界が広がっている。開店して間も無いせいか、他に客のいない店内をゆっくりと見渡し、奥のカウンターの壁際に一席を占めて、珈琲豆の焙煎にいそしんでいたバリスタである女性スタッフの一人が、にこやかに微笑んで迎えてくれる。無論、屋号に「珈琲」を掲げているから、この店の売りは珈琲で、それでも実は、ロイヤル・ミルクティー目当てに訪れたというのが本当のところで、事ほど左様に、この店のロイヤル・ミルクティーは良く出来ている。もっとも、たっぷりのミルクで茶葉を煮出すから「ロイヤル」なので、ただホットのストレートティーに牛乳を注いで、これは「ロイヤル」だと澄ましている店は不誠実な店である。さらに言えば、英国に「ロイヤル」ミルクティーを名乗るお茶など実は無くて、何でも「ロイヤル」を冠せば有難味が増すという発想は、やたらに「元祖」とか「本家」を付けたがる発想と同じことである。言うまでもなく、この店のミルクティーは本式の「ロイヤル」で、暫く待って恭しく供されたそれは、実に濃厚な、ミルクの滋味とアッサムの薬効が身体に沁みる一杯で、冬空の下を歩いて来た身体が、たちまち温まり、ふっと安堵の息が漏れる優しさに満ちていた。

 脇に置いた古い口枠式の鞄から、やはりまた古い一冊の手帳を取り出して、磨き上げられたカウンターの上に開き、一枚一枚の頁にゆっくりと眼を通す。その手帳は、随分前にオークションで落札したファイロファックスの掘り出し物で、奇跡的に未使用であったそれは、英国の「アスコット」という、競馬場で知られた街の名が付けられた、飴色をしたクロコ調の革張りで、確か九〇年代半ばに造られたものであったと記憶している。古いモノは良いモノだ、という言葉は、考察の過程を省略した短絡的な言葉であって、何も懐古趣味という謂いではなくて、そのモノが廃れずに現役で働いているという事実、時代や市場に淘汰されず、言い換えれば、耐久性と信用性という堅牢な品質が認められているから良いのであって、因みに、ファイロファックスという会社は、世界で初めてシステム手帳を考案した、一九二一年創業の老舗である。それで、手帳のリフィルに記されているのは、その日の予定だとか、公共料金の引落日だとか、あるいは誰それのアドレスとか、いわゆる手帳に書き留めておくような事務的な事柄ではなくて、端的に言えば、美しいモノや記憶の記録である。それは、ギャラリーで観た絵画であったり、聴き比べて選んだ名盤であったり、また旅先で口にした料理であったり、これまでの短い人生と少ない経験の中、縁あって知るところとなった美しい体験を、その「美しい」というキーワードを共通の指標として記録しているもので、時折、時間のある時にこうして眺め、想いを馳せ、殺伐混沌とした世界にまだ美しいモノが残されている悦びを改めて認識する、その記憶を呼び覚まし、これからの人生に希望を託す、縁あって手にすることになった、この古いファイロファックスには、そういう想いを込めている。

 誰が初めに言い出したのか、過去という事象に「過ぎ去る」という文字を充てたのは慧眼であって、誰もが平等に持ちながら、その価値に気付く向きは少なく、また放っておけば、たちまちに「過ぎ去って」しまうものが時間であり、どれほどの富豪であっても、金塊を積めば人心は買えたとして、時間を余分に手にすることなど出来はしない。一日は二十四時間、一年は八七六〇時間と決まっている。だから、時折、意識的に立ち止まって、歩みを見直す、来し方に想いを巡らし、行く末の道を考える、そういう時間が必要で、もちろん、日々難しい経営判断の連続であるような企業のトップは、毎日でも考えている当たり前の習慣であるのかも知れないけれど、古いファイロファックスは、そのきっかけ、立ち止まる時間の有用性を教えてくれる良き友のようなものである。淡いブルーの蔦紋が描かれたティーポットから、二杯目のミルクティーをカップに注ぎ、何気なく開いたリフィルには、ブラウンズ・ホテルのラウンジが写っていた。一体、何年前の写真であろうか、ブラウンズ・ホテルというのは十九世紀の半ばに建てられたロンドンの老舗で、アガサ・クリスティが『バートラムホテルにて』の舞台として描いたジョージアン様式の名門である。確か、宿泊していたランガム・ホテル(ブラウンズではなく!)のコンシェルジュに頼んで、アフタヌーンティーの予約を取ってもらったはずで、ある年の五月、春の陽気に誘われて集った紳士淑女に混じって、日本からの旅人が場違いにお茶を愉しんだ、そういう景色で、一枚のリフィルから生き生きと当時の記憶が甦り、再訪の夢を描く。もう少し仕事を頑張って休暇が取れたなら、そうやって日々の暮らしに張りを与え、ブラウンズ・ホテルと言わず、美しく優雅な世界が、この星にもまだ残されていることを一冊のファイロファックスの中に見る。

 誰であれ、人生という長い旅路に、一寸立ち止まって考える時間は必要で、そこに、古い記憶と明日への希望が詰まった一冊の手帳と、きちんとミルクで煮出した一杯の温かい紅茶があれば、何も言うことはない。

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