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普通ってなんだ?

ごきげんよう。
わりと独自の世界観で生きている
しろひつじです。

普通ってなんだろう。
これは折に触れ、考えるテーマです。
割とカンタンに「そんなの普通」って片付けることは多いけれど、それはなんだ?と聞かれると、なんだか曖昧模糊としています。

自分のできることを指して「普通」と思いがちではありませんか?
みんなができることを普通と呼ぶのでしょうか?
みんなって誰のこと?
よく「みんなが持ってる」とか「みんながそう言ってる」とかの「みんな」は3人でもう「みんな」認定されることもあるらしいですね。
かなり不確かな基準です。

感覚的なものって、人によってだいぶ違うものだと思うので、自分の普通を人に当てはめることはどうかと思うし、押し付けてもいけないのではないかな、と思うのです。

自分の当たり前が、必ずしも、誰でもの当たり前ではない。

その事はちゃんと知っておいた方がいいなって思います。


平均値をとって「普通の人の基準」を定めて、それを超える人を優れた人とし、届かない人を劣る人と判断することがあります。
体力測定とか、筆記試験とか。
まぁ、ある一定の基準を決めないと、色々不都合がある時もあるのかもしれませんが。というか、いろんなことに、とかく優劣をつけることにも、疑問を感じているんですよね。
これは、わたしがわりと世間の「普通」に達していないことが多いから、敏感に問題と、とらえてるのかもしれませんね。
ちょっと劣ってるから、くってかかる気持ちになってるのでしょうかね。
優れていると認定された人には、劣ったと言われた人の気持ちって、わからないのでしょうね。

今朝、新聞で「発達障害」の文字を見て、低く評価されているというか、なんだか認めてもらえてない感じがして、とてもイヤだなって、ちょっと考え込んでいるのです。

『障害』ってなんだよ。
何かの誰かの基準に届かないだけのことなのに、害の字とか使うなよ。何が悪いんだよ。苦しんだり、生き辛さを感じたりしてるのに。
それがその人の「普通」なのにさ。

誰しも、自分が「『誰かが決めた普通』じゃない」って指差されてからやっと、言われた人の気持ちが分かるようになるんだろうなっていうのが、今の感想です。

今回は特にこじらせてますね。
『普通』って、よく使う言葉なのに、とっても不確かなものだと改めて思いました。あまり乱用しないように気をつけようっと。
そんな言葉に振り回されることなく、自分らしさを大切に生きていきたいものです。

きょうはここまで。
読んでくださってありがとうございました。
皆さまが、自分らしく生きていけますように!

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