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やさしさに包まれたなら、きっと世界は、ぼくは。

2020年5月にはじめて書いたnoteからもう半年以上になる。
本来なら2020年中に「まとめ的な」何かを書こうと思っていたんだけれど、ここのところ活字離れ&書きたくない病を発症していて、iPhoneのネタ帳が増える一方な日々を送っていたらいつの間にか2021年になっていた。わぉ、我ながらビックリだぜ。

noteを書くキッカケになった岸田奈美さんは作家先生となり、世間の注目を集めまくってメディアを賑わせている。とても感謝しているとともに、これからも応援していきたいし、ぼくなりのnoteを執筆していきたいと思う。

優しさを考える1年だった

今までのぼくの人生の中で欠けていたもの。

優しさ。

人に言わせると、ぼくは優しいらしい。どうやったらそう思えるんだろう?と頭をフル回転してみても全く答えは出ない。だって今まで自分自身では「優しさのカケラもないクソ野郎」だと思っていたから。

きっと今までのぼくは優しさの相互交換を求めていたんだと、ふと思った。ぼくがこれだけ優しくしたんだから、これくらいは優しくしておくれよぉ〜と。

で、「世界は贈与でできている」をおバカがおバカなりに読み進めた結果、もしかしたら今までの優しさは間違ったものなんじゃないか?という考えに至ったわけだ。

そもそも優しさという不確かで正解が何億通りもあるものを考えるようになったのも岸田さんが紡ぐ文章に出会ったからだ。

一昨年の11月ごろ、心が荒みきって歩くことさえ億劫でなんとか這いつくばって生きていた。その頃から”厳しく接する・接せられること”への圧倒的なイヤイヤ期が始まったわけだ。

スパルタ教育や強く叱って心が鍛えられると思い込んでいるスポ根精神にウンザリだったし、優しい言葉の掛け合いが馴れ合いと等しく定義されているぼくのコミュニティに違和感しか覚えなくなってしまった。

優しさの定義はとても難しい。一生かけてもわからないんじゃなかろうかと思っていた。そんな時に出会った本に答えっぽいものが書いてあって、でも難しくて、ぼくの頭はオーバーヒート気味になってしまって「キナリ読書フェス」に感想文を提出できなかった。無念。


「世界は贈与でできている」著者の近内悠太さんの考えをぼくなりに解釈すると、優しさや相手を思いやったりする事は贈与であり、相互交換ではなく、贈与する側は相手に気付かれずに贈与する必要がある。受け取った側は、いつかの未来に「あ、これってあの人からの優しさ(贈与)だったんだなぁ」と気づくことが良いと。

できるかな、今のぼくに。

できるかな、未来のぼくに。

過去の自分は確実にできていない時が多かった。間違いなく。
少しづつ、自分なりの優しさを持って人に接することができるように心がけていきまっしょい。わっしょい!

え?優しさって人に与えるものじゃないの?

ぼくは主治医と1ヶ月に1度会う。会うというか診察なんだけど、ほぼ雑談で終わる。精神科という性質上そうなるんだろうけれど、ぼくにとってはとても大切な時間だ。とはいえ行きたくない!って時もあって、実際行かなかった月もあるし、勝手に薬の服用もやめたりした。案の定、心は不安定になって吊り橋のロープがミシミシと音を立てながら1本1本切れていったわけだ。

げっそりした顔で先生に会いに行くと「最近どうですかぁ〜」といつものテンションで迎えてくれる。ぼくと先生は相性がいいのだろう、きっと。
多分、ぼくが勝手にそう思っているだけだとしてもそれで良い。

年内最後の診察は相変わらずの雑談中心で。「今年は優しさを考える年でした」と話した時のことだった。

「なるほどねぇ。もしかすると”優しさ”って他人に与えるものじゃないかもねぇ」とボソッと呟くように主治医は言った。

え?どゆこと?まったくわからんぞ!禅問答か!?そうなのか!?

「優しさというのは、まず自分に与えるものなんだよねぇ、きっと」

ん?まだわからん。優しさの方向が他人ではなく自分に向いてきたぞ。

思い切ってぼくは聞いてみた。

「例えば、ギャンブルに使っちゃいけないお金を使い込んで将来の自分へ辛さを与える事は、自分に優しくないって事ですかね?」

「そうそう、そんな感じだよね。なんだ、ぷるぽさん分かってるじゃない」

いやいや、今先生から話を聞いたから例え話が浮かんだだけで自分の考え方の本質ではないっすよ。それにその考え方でいくと、今までのぼくは相当自分に優しくなかったように思う。

そうか、まずは自分に優しくしなければいけないんだ。

自分に優しくするという事は、ズルをするということではなくて自分が楽になれるような環境づくりを心がけることなんだと気づいた。

だからぼくの2021年は「自分に優しくする」を目標に掲げたいと思う。そうすれば他人にも優しくなれる気がする。まだ実行できていないので”気がする”にとどめておく。お楽しみに、と自分にも言いたい。

起きる物事の捉え方のいろいろ

日常生活を送っていると様々なことが起こる。自分由来のものから防ぎようのない他人由来や自然由来のものまで、楽しかったり辛かったりウンザリしてしまうくらい色々と起こる。なんやねん、日常生活!なんやねん人生って!

人と人が関係して起こる物事。相手には初めての1回だったとしても、毎日のように同じ事と遭遇している本人はウンザリの絶頂に達してしまうことがあるようだ。

例えば車の運転を生業にしている人。
通行人や自転車の飛び出しを日頃から憂いていて「なんやねん!危ないやないかい!」と思っているとしよう。

淡々と怒りをたぎらせるも、毎度注意してちゃこちらの身も心もすり減って、全然美味しくないダシが取れるかつお節くらいにペラペラになってしまう恐れがある。だからグッと堪える日々を過ごしている。

そんなある日、ちょっと虫のいどころが悪くて、スッと出てきた自転車をぶつかりそうになった時に怒りのキャパシティオーバー。

「ぐぉおらぁあああああ!!ちゃんと左右確認せんかいボケぇぇえ!」

だけど、相手は1年に1度あるかないかの不注意だったので拍子抜けした顔をして謝る。なんでそこまで怒ってんねん、と。

常日頃我慢している運転手の怒りは抑えられない。その人が今までのクソ運転の元凶ではない事も分からなくなるくらい、烈火の如く怒鳴り。。。警察出動。

これってかなり日常茶飯事な事だと思っていて。この問題は今のところぼくの中には答えはない。どうすればいいんだろうね、本当。なんとなく答えっぽいものが書きながら見えてきているけど、はっきりとはしないのでもう少し温めておきます。

書くのって楽しいね

結局書いてみて思う事はいつも同じ。

書き始めると止まらなくなる。自分語りって本当に面白いし、誰かに褒めてもらいたいし共感してもらいたいってだけで書いているわけで。楽しくっていつまでも書いていたくなる。だけど、またの機会にしておきます。

ネタは日々更新しています。思ったことをメモすることが、この1年で確実に癖になった賜物だ。

書くことが仕事でない分楽に書けるから、とことん自分語りしていこうと思う。2021年も自分なりのペースでボチボチ書いていきます。

よかったらこれからも読んでやってください。

褒められて成長するタイプの単純なタコ野郎なので。

今年もどうぞよろしくお願いします。

ぷるぽ

さまざまな人に出会うために旅をしようと思っています。 その活動をするために使わせていただきます。 出会った人とお話をして、noteで記事にしていきます。 どうぞよろしくお願いいたします!