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迷子は道が分からない

3ヶ月弱の旅を終えて日本に帰国した訳だが、
日本に帰るということは、
無視することが正当化されてたことと
向き合わないといけない現実が待っているということだった。

自分の居場所ってなんだろう。
私は完全に迷子だった。

毎週のように膨れ上がるキャリーを抱えて、
国を変え、家を変え移動することに疲れ切っていた。
おうちのベッドにダイブしたかった。
安心して深い眠りにつきたかった。

私はインスタグラムで韓国アイドルが韓江(韓国の大きな川)で撮った写真を見て
夏のじめっとした湿度の夜の川を見て「アジアに帰りたい」と思った。

これまでは日本は極東であって
東南アジアのような“THE ASIA“の一部ではないと思っていたが、
日々の農作業で黒く焼けた私は
日本人と思われることが少なくなったこともあって
アジア人の一員だということを自覚した。

でも恋人と同棲していた世田谷代田の家は
まだあったけど、二人が別れて家がなくなることは決まっていた。

実家に戻るという選択肢があるのはありがたかった。
結局、家という資産(ここでは賃貸でも資産と呼ぶ)のうちに収まりたい、
家族に頼りたいと思うほど弱っていた。
(乗り越えれば新しい世界が広がったのかもしれないが、)

それと同じで私は純ジャパで日本国籍だから
日本は自分の国で自分の居場所だとおもう。
生まれた時から当たり前に持っている権利という資産

でも日本を自分の居場所だと思うのは
ここで育ったから?家族がいるから?
慣れてしまえば外国でも自分の場所ってあるのかもしれない
自分の居場所は作れてからが人生の本番な気がした。

とにかく今は自分の国は日本だと思って
日本で生きていくことを決意をした。

デンマークに辿り着いた時は、
長く住むかもしれないなと漠然と思ったりもして
でも、海外で生きていくことを決意した人は
もう母国は祖国であって戻る場所ではないと言うか
(そんなはずはないんだけど)
何かがすごく寂しい気持ちになる気がする。

先進的な北欧だって自国の民族のアイデンティティを守るために
移民の受け入れを制限している。
それもアジア人の私が疎外感を感じた理由の一つだろう。

同じと言って良いはずはないけど
イスラエルやパレスチナの人たちだって
そういう絶対的な自分の居場所を求めてるような気がする。
それが世代を越えて今の彼らがどう思っているのか
自分のことすら分からない私が
彼らのことなど到底想像することもできないが
差別、ジェノサイドが繰り返されないことを願う。

反対にやりたいこと(目的)がはっきりしている人は
どこへでも行けると思う

一番場所に縛られることなく自由な存在になれる
鳥になれる

何がしたいからどこへ行くでもいいし、
どこに住むために何をする。でもいい

性格ゆえか私の心の声はとても小さい
聞き逃さないよう耳を澄ませよう

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