「おくさま」という人生

80をひとつかふたつ越したお金持ちのマダムSさんの話。
超一流の銀行の頭取にまでなった自慢の旦那さんは、20年以上前に急死。おひとりさまという共通項で、私とはつかず離れずのお付き合いが続いている。もともとは小学校のPTA活動で知り合った。女子大出の元スッチー、人はいいのだが、上から目線でズバズバものを言うものだから、当然周りからは疎まれ避けられ・・・・、それでも正義感があるし、銀行という世界の裏話がおもしろいから、私のようなタイプの数人が時々彼女の豪邸にお邪魔したり、近場で食事をしたり。
彼女自身、地方の資産家の娘だったらしいが、とにかくもらっている遺族年金がはんぱじゃない。「彼が生きていたときは泣かされてばかりだったけれど、今は有り余るほどのお金を頂いて、全く彼のおかげ」と平気で言う。何度も何度も、会うたびに言うけれど、羨ましいとも何とも思わない。私たちはいつも笑って聞き流すのだ。
そのSさん、数年前からだいぶ認知症が出てきた。足も悪い。わが家の倍はある広い部屋に1人で暮らしているが、同じマンションに娘がいるし、週に一度はお手伝いさんがくる。要支援もつけているらしい。彼女、することがないから暇なのだろう。相変わらず物言いは上から目線だから、娘さんも必要最低限しか寄りつかず、結局寂しいのだろう。友人たちに電話を掛けまくる。私はほとんど出られないのだが、たまに喋ると同じ事を繰り返し・・・、「あなた今狛江なの、国立なの?」ー「あらさっきも聞いたわね」と自分でもわかっているのだ。明るく喋るだけ喋って、切る。もう笑うしかない。華やかで社交的な女性が少々惚けると、こうなるようだ。
叔母がそうだった。母が施設に入ってからも、私か妹のところに毎日のように電話を掛けてきて、毎回同じ事をしゃべるのだ。「おかあさんお元気?」から始まり、遊びにいきたいと、次の日も次の日も・・・・。早くに病死した叔父も、日本を代表する一流企業のお偉いさんだった。その「おくさま」という人生を嬉々として歩いた叔母、ひとりになって寂しかったのだろう。コロナ禍に入る前に、叔母は叔父のところに旅出ったが、その頃には自分が誰なのか、誰の奥さんだったのかも、みんな忘れてしまっていた。
私は叔母のことを思い出しながら、Sさんのお喋りにウンウンと相づちを打っている。


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