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米津玄師が読み聞かせる桃太郎

昨日の飯のことも覚えてないくらいなんで、これがいつ頃の話だったかよく覚えてないんすけど、どこかの片田舎に老夫婦が暮らしていたんですよ。

ある日、お婆さんが日常の営みとしてランドリーに、、あ、この村の場合は川なんすけど、洗濯をしに行ったら、そこに大きな桃が流れてきて….。確か、その時のサウンドはドンブラコドンブラコだったかもしれないですね。

川ってそもそもパブリックな場所じゃないですか。だかぁ、お婆さんもそこに流れてきた桃を持ち帰るのはひどく浅ましい行為のようで葛藤があったと思うんです。でも、この得難い祝福を無下にするのは美しくないと考え直したら持ち帰る以外の選択肢がなかった…

俺はあんまり曲が降ってくるって表現は好きじゃないんですけど、この時のお婆さんには「♪あっちの水は辛いぞ〜、こっちの水は甘いぞ〜♪」って歌が咄嗟に降りてきたらしいんすよね。そしたら桃が手元に流れてきたっていう…ありがてぇ、本当にありがたいっす。

なるたけバレないように持ちかえり、柴刈りから戻ってきたお爺さんと桃を眺めていたらパッカーンって割れて、「あ、眩しいな」ってなっちゃって。中から男の赤ちゃんが出てきた・・・って、そんなことってある?

要するに奇跡としか言いようがない。その赤ん坊がすごく大きくて多分4500gくらいあったと思うんすけど、この子はいずれ桃から生まれたという出自を知って泣くのかなと…。だからせめて名前くらいは誰にでも読めるシンプルなものにしようと桃太郎にしたってことでしたわ。逆効果じゃねぇかな?

力持ちというひとつのパラメータだけが飛び出た桃太郎は、悪辣な鬼たちがいろんな国から盗んできた宝物を鬼ヶ島で死守してるって話を知った。なんつうか、そう言う自分さえ良ければいいって言う所作が大嫌いなんだっつって鬼退治に行くことになったみたいです。

で、お婆さんがきび団子を、あ、きび団子って大根?まぁいいや。きび団子をね、たくさん作ってくれて。いくら桃太郎が食に頓着ないからってきび団子だけってのはどうかと思ったんですけど、お婆さんも内心なんか面倒くせぇなって思ってたのかもしれないです。

道中、犬がワンワンワンって寄ってきてきび団子をくれたらお供するって言うから1つあげたんすけど、なんつったらいいかなぁ〜、これって要するに交換条件ですよね、世知辛えなぁて思いましたね。ただ、どう足掻いても1人じゃ鬼と戦えないんで致し方ねぇなと。

そのまま歩いていると猿が現れて、またきび団子くれって。自分の性癖として天邪鬼なところがあるので、皮肉で「ついてきてくれますか!?」って言ってみたらついてきましたよ。んふっ、俗物的な欲望ですよね。

次に出てきたのがキジで、内心「フラミンゴじゃねぇのかよ」って思いながらも、いたずらにキジを傷つけたくないわけで…ま、この邂逅を大切にしてキジを仲間にしたことで最後のピースがガっとはまった感じはありましたけどね。

未曾有の鬼退治ってことで桃太郎はかなりシリアスになっていたんだと思います。何かにつけて至らない自分が鬼と対峙した時に半径5m以内にいる仲間が大切だと思ったんじゃないかと。

みんなで船に乗って鬼ヶ島を目指す途中、自分を俯瞰して見て「そんなタマじゃねぇな」と言う自意識の中でも桃太郎が強く強く願ったことは「この船から誰1人として落としたくない」だったかもしれないすね。

鬼ヶ島に到着して犬、猿、キジが鬼を嬉々として懲らしめているのを見た桃太郎は、果たしてこれでよかったのかと思い始めて、なんだろうなぁ、自分は村人たちにおもねってここまで来てしまったのではないかと…

対岸にいる鬼の声も受け止めるべきであって…どうすっぺかなと思ったけれども、こんな風に生まれてきてしまったのだから仕方ない。それならそれで、やらないと言う選択はないわけで…

やるんだったら「馬鹿じゃねぇ?こいつ」くらいやらないとっつって、鬼が泣いて降参するまでマッシブに過剰なまでの暴力を尽くしたんだよね。身体性の可動域が予想以上に広がってたみたいで…結構やっちゃって…

盗みは許せないと言う、まっこと普遍的な怒りを立脚点にしてラジカルに鬼の暮らしを毀損したことが翻ってポップになる。とは言え、偏狭な正義感に隷属し、大切な何かが瓦解していたのかもしれないな。

鬼たちが盗んできた宝物をごっそり持ち帰り、潤沢な経済・文化資本を持たない村人たちに与えたって言うのは、ある種のネコババであって、これが正義とはちゃんちゃらおかしい。

そもそも、きび団子目当てで近づいてきた鳥獣たちだって下品でヤベェ奴らだし、盗品で喜ぶ村人のエゴイズムも美しくはない。桃太郎だって自分の存在意義を視座を上げて見つめ直せば、そこにある種の諧謔性を帯びてくるわけで。

なんか居心地は悪いけれども、こう言うアイロニーつうか、脆弱な人間の複雑な多義性を描いているからこそ、昔話は解像度が高く没入できる強度があるのかもしれないすね。

俺も何百年後かに読み人知らずとなるみたいな、普遍的で、自分と真逆にいるような人にまで届く曲を真摯に作り続けていきたいと思います。

*この物語はフィクションです

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