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いつか米津玄師の大切なことは言葉になるのか?

「米津玄師の歌詞を因数分解して分かったこと」<第25章>

*プロローグと第1章〜24章は下記マガジンでご覧ください。↓

 私たちはコミュニケーションの大半を言葉に頼っているが、その語彙数、読解力、表現力の個人差は相当なものだろう。

 噛んで含めるように言葉を尽くしたはずなのに、あらぬ誤解をされた時、自分の言葉が拙いのか、相手の理解力が低いのかと途方に暮れることもよくある。顔の見えないSNSであればなおさらだ。

 先天的にコミュニケーションが苦手だった米津玄師。ネット上で、賞賛と同時に多くの誤解や嘲罵を受けてきた彼は、少しでもわかり合いたい、愛し合いたいと「言葉」の力を信じ、覚え、蓄え、厳選して使用してきた。

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 しかし、「自分の意図は確実に誤解されるもの」で「分かり合えないということが大前提」なのだと”diorama”発売時のインタビューで語っている。それは投げやりな絶望ではなく「勘違いやすれ違いはコミュニケーションの本質だ」(2012年のTwitterより)という諦観とも言える結論だった。

ViViに見る「言葉」の不甲斐なさ

 米津は32曲で「言葉」という単語を歌詞に使用している。特にdioramaには「言葉」が頻出する歌が2曲ある。

まずは「言葉」が5回登場している”ViVi”を紐解いてみよう。

悲しく飲み込んだ言葉
苛立って投げ出した言葉
言葉にすると嘘くさくなって
でもどうして言葉にしたくなって
言葉を吐いて

 どの「言葉」にもコミュニケーションツールとしての不完全さが滲んでいる。

結局どうやってもわかりあえない。わかりあえたと思ってもすれ違いって必ずあるんですよ。そんな悲しさを描いているのが”vivi”ですね。それでいいんだと思ってます。」(ナタリーインタビューより)

 この曲は恋人との別れを描いたラブソングではない。イタリア語で”生きる”と言う意味の”ViVi”とは、”わかり合えない他人全般”のメタファーだ。

こんな話など忘れておくれ
言いたいことはひとつもないさ

 この歌詞の裏側にどれだけ多くの伝えたいことがあったのか?何度も何度も「愛してるよ、ViVi」と繰り返し「さよならだけが僕らの愛だ」と歌う。そこにはただの失恋ソングよりも遥かに深淵な真実がある。

 一方、同アルバム収録の”caribou”では、言葉ばかりで頭でっかちな人間を思いっきり揶揄し挑発し見下している。この曲では6回も「言葉」という単語が出てくる。

教えてよその言葉その哲学の帰る場所について/
素敵な言葉 また唱えて見せて!/
甲乙言葉の銃を撃つ/
言葉を杭に打ち付けて見せびらかすのは悪い趣味だ/
言葉の弾丸が落ちていく/
言葉の弾丸が宙に浮く

 「言葉」を弾丸に喩えた壮絶な口喧嘩の歌であるが、結局はこの曲にもコミュニケーションの困難さが渦巻いている。 

どんな言葉だったか想像してみよう

 米津の歌詞に出てくる「言葉」の中で、それが具体的に何を指しているかわかるのは32曲中、下記の3曲だけだ。

「どこにもいかない」と そう言葉贈ってくれたこと
(乾涸びたバスひとつ)
 はやる胸に尋ねる言葉「終わるにはまだ早いだろう」
(馬と鹿)
「それにどれだけ救われたことか 」もしもあなたが知ってても
明日会えたらそのときは 言葉にできたらいいな
(メランコリーキッチン)

 あとは「どんな言葉だったかはご想像にお任せします」という歌詞が多い。脚本家気分で背後のドラマを想像してみるのも一興だ。

例えば、
”打ち上げ花火”の「砂の上に刻んだ言葉 」とは何か?
”moonlight”の「何もかも終わらせる言葉」とは何か?

「愛してる」「さよなら」「ごめんね」「ありがとう」「名前」・・・
どんな言葉が入るかで歌の色合いが変わってくる。

大切なことは言葉にならない

 また「適切な言葉がわからない」とか「言葉にしたくない」そして「言葉だけじゃ表現できない」と言う意味の「言葉」たちも美しいメロディに潜んでいる。

その際たるフレーズが「大切なことは言葉にならない」(海の幽霊)だ。

 心のメーターが振り切れたとき人は言葉を失う。”海の幽霊”の超常的な畏怖を前に言葉は無力だ。

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それでも言葉を探し続ける理由

「単語から曲を作る。曲を書いている段階で絵の情景が浮かんでいる。」
かつて米津はこう語っていた。そんな米津の言語中枢には膨大な言葉たちが蓄積されていることだろう。それらは声や文字や音に乗って世に出るのを待っている。

 しかし、米津の言葉に対する信頼性は常に揺らいでいるようにも見える。それでも言葉に真摯に向き合い、その精度を上げるべく日々インプットと取捨選択を繰り返しているに違いない。

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自分にとって重要なことは言葉にも歌詞にもしたくない。こうやって本当に重要なことについて間接的に接触する言葉ですらできれば言葉にしたくない。(2015.01.12 ブログより)

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 やはり、言葉は不完全だし「人と人は分かり合えない」のは当然なのだろう。自分のことさえ100%分かっているか覚束ないものだ。

 しかし、わかり合おうとする気持ちこそが人を生かすのではないか?

 米津玄師が言葉を探し回り丁寧に紡ぐ理由もそこにあるのかもしれない。

「たった数行の言葉のために何故ここまで頭を悩まさなきゃならんのだろう?(略)それを受け取ってくれる人がいるというのが素敵なこと」(Twitterより)

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<Appendix>

オマケ:
クリスチャンではないが教会で結婚式挙げた。そのとき牧師さんに教えていただいた言葉が数十年経った今でも忘れられない。
「花嫁のベールをあげるのはDIS(否定)+COVER(覆い)でDISCOVER(発見)という意味があります。これから夫婦となり日々少しずつ少しずつお互いを発見していくのです。最初から分かり合えているわけではないのです」

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