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書けば書くだけ報われる。私が日の目を見せてあげる

まだ何も書かれていない、何を書いてもいい、書かれる前の真っ白なnoteを目の前にすると、今でも少し怖気づいてしまう。

「今日は書けるだろうか……」

なんだか、毎日そんなことを思っている気がする。そんなことを思い続けて2年半ほどが経っているのだけれど、それでもまだ「今日こそは書けないかもしれない……」と思うことがある。

でも、なぜか書ける。

すごすぎる自分。天才か?


最近、書く前に前日以前に書いたnoteを読み返したりしている。昨日はお菓子のことを書いていて、一昨日は博識な人に出会ったときのことを書いていて、その前は人の恋愛話を聞いたときのことを書いていて。

あまりにも、手のひらだ。手のひらに収まるようなことしか書いていない。ほんとうに些細な、薬指にできるささくれ、くらい些細なことを書いている。

しかし、それがもう2年半も続いている。

自分で読んでいて、「やっぱ面白いな、私は」と自己肯定感に問題はないものの、あまりにも小さなことを書きすぎていてときどき「私、昨日何をしていた……?」と不思議になることがある。

だがしかし思い出して、「そのなかからよくこの記事を書いたな私」「よくやった」と、また自己肯定感の背中をバシバシ叩く。

それでも、私の毎日noteを読んでくれていて、いいねをくれる人がいることがすごく嬉しい。ああ、書いて良かったと思う。書く前の悩んでいた私と、書いたあとに「書けた!」と思う私は、そのいいねで報われている。

ああ、そうだ。私にとってnoteは、書けば報われるものだ。

そりゃあいいねの数がいっぱいあったほうが嬉しいけれど、そんなことよりも「読んでくれて、いいねがもらえた」という事実だけで、すでに私は報われているのだ。

してもしても報われない努力はあるし、練習しても練習しても負けてしまう試合はあるけど、書けば書くだけ報われるのがnote。

手のひらでもいい。些細でもいい、ささやかなことでもいい。お菓子のことでも、博識な人と話したことでも、恋愛話でも、書けばそれらは報われる。

私が君たちに、日の目を見せてあげる。

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