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3年ぶりに開催された「阿波踊り大会」を見て、青春を考えていた

まだ名もなき新型コロナウイルスが中国の武漢で見つかったのは、2019年12月8日だったという。

次の12月8日がきたら、発生からちょうど3年。なにが「ちょうど」なのかはわからないけれど、ぴったり3年になる。

渋谷のスクランブル交差点から人がいなくなって、飲食店は軒並み休業。いろんな会社が立ちゆかなくなったりして、在宅勤務が急拡大した。巣ごもり需要でニトリやテイクアウトが売り上げを伸ばして、商業施設やそれに関わる現場仕事は窮地に立たされていた。

2019年当時、まだ中学生だった弟に話を聞くと学校はすぐに休校になったという。からの、タブレットを渡されてオンライン授業になったらしい。

少し経つと、クラスメイトを分割して別々の教室で授業を受けるようになった。1つの教室は先生が授業をして、もう1つの教室ではその教室をライブ中継するやり方。

文化祭や体育祭といった行事や部活動の試合、卒業式、入学式が中止になった。

練習しても練習しても、その練習の成果をどう消化したらいいのかわからなくなった。試合に勝って次のステージにいくことも、負けてステージを後にすることもできなかった子どもたち。

「失われた青春」なんて文言を何かの記事を見た。

でもそれは、子どもたちだけではなかった。練習の成果を発表する機会を失ったのは、若者たちだけじゃなかった。



今日、今住んでいる街で「阿波踊り大会」が開催されていた。

開催されていることは全然知らなくて、たまたま出かけ終わり駅に帰ってきたら駅のロータリーから祭囃子が聞こえてきた。

鉦がチンチラチンチラ鳴る音。スナップのきいた手首で担いだ太鼓を叩く音。時々かかる掛け声。恐らく掛け声を始める第一声の声主がいて、それに合わせて周りの踊り子さんたちが声をだす。

私は、「阿波踊り」が組合? 団体? ごとにこんなにも色や特色があるものだなんて知らなかった。

着ている法被はそれぞれの団体名にあったカラーで、例えば組合名に"波”が入っていたらブルー。"さくらんぼ”だったら淡いピンク。"紅”はわかりやすい紅色。

踊りもよく見るとちょっとずつ違うし、太鼓の打ち方や鉦のリズム、掛け声、フォーメーションも違う。小さな子供からおじいちゃん、おばあちゃんまでいろんな年齢層の人がいる。

ときどき、楽器隊や踊り子の後ろのほうに金やピンクの派手な髪色の若者がいて「いいなあ」と思った。そういう、ちょっとはしゃぐ心もあるのに阿波踊りを真剣に踊る姿が良かった。

どの組合も、団体も、今の日本の年齢層ピラミッドだった。小さな子供や若者よりも、ご年配のほうが多い。ピーヒョロロと鳴る笛のソロを吹いていたのは、つるぱげのおじいちゃんか腰が曲がりきりそうなおばあちゃんばかりだった。

それを見て、「青春が失われてしまったのは、若い私たちばかりじゃないんだ」と思った。

コロナが出現して3年。その3年の月日は、私たちに同じだけ流れている。中学校に入学してから何もできずに卒業してしまうように、70歳になったおじいちゃんおばあちゃんも73歳になる。

何度練習しても、もはや練習することすらできなくて、発表の機会を失った「阿波踊り」を練習していたみんな。

流れるように踊る人たちを見て、もしかしたらそのたった3年の間で足腰を悪くしてしまった人もいたのかなとか。さいあく、亡くなってしまった人もいたのかなとか。来年、来年こそはって期待して、裏切られて。「大丈夫、また来年、来年ね」と声をかけあって、かけあっただけで来なかった来年があったのだろうかとか。

パンフレットを受け取ってみると、今回も縮小開催だったよう。

それでも観客がたくさんいる場所で、いろんな人が見てくれてる前で、自分たちが練習してきたものを余すことなく出せる場所の尊さを感じた。

全然阿波踊りなんてしたことないはずなのに、勝手にそんなことを考えてじーんとして泣きそうになった。気づけば、noteでこのことを写真付きで書きたいと思ったから、写真と動画をたくさん撮った。

この太鼓がさつまいもの輪切りみたいだった。

よかった。ここでみんなが踊れてよかった。

発表できてよかった。

今日が晴れていて、ほんとうによかった。

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