「ズレズレなるままに」誤報 飛ばし 捏造

 日刊スポーツの「人的補償は和田毅」って記事が物議をかもしているようですね。
最初に言い訳しておくと、真偽の程は分かりません。そこで、元記者として想像してみたわけです。

 ネット界隈では「誤報」という表記が飛び交っていますが、結果として違う答えなら広義では誤報かもしれません。ただ、一部で同じように類推している野球評論家さんもいまして、コレはやはり「和田」で事態が動こうとしていた気がします。もちろん、鷹も獅子も「最初は和田でした」なんて言わないでしょうけど、和田にも甲斐野にも失礼だしね。

今回とは関係ないけど、トレードや監督招聘でメディアを使って観測気球を上げた例は実際にありました。先に報道されたから止めたケースとか、わざと違う名前で書かせるなんてのも。
他社に書かれると、担当記者は朝から焦りまくりなんですよ。誰にウラ取るかはもちろん、ちょっと球団に影響力ある記者が潰させた話も聞いてます。

ずいぶん昔、ベイスターズ担当をしてたころ、サンスポの1面で騒動を起こしたことがあります。まだオールスター前のタイミングで「来季 森監督」ってやりました。
さすがに今でも詳細は書けないけど、朝、権藤博監督の家の前でお待ちして、朝刊手渡したら、「お前も乗れ」と当時ヘッドコーチだった山下大輔さんの車でハマスタに向かったわけですよ。車内は会話なく、針の筵。
球場につくなり、選手が1人ずつ来て「ホント?」と聞いてくる。そりゃそうです、放任主義の権藤さんと管理野球で知られる森さんですから、まるで正反対。
球団社長に怒鳴られたけど、他社も追いかけようもなく、時間が経過。権藤さんから「監督の人事権は監督にはないんだよ。お前が取材してそう思うなら書け」と言われて、救われた気になったものです。結局、森監督にはなったけど、懐かしい思い出だな。

さて、スクープをなぜやるのか? という問いは永遠の疑問かもしれません。今なら、抜かれたってネットですぐに打ち返せるし。スポーツ紙は監督人事とか大好きで、正式決定したら「本紙既報通り!」ってやりたいわけです。
日刊スポーツを擁護するわけじゃないけど、こういう思いは今も変わらないんじゃないかと感じるわけです。結論は誤報かもしれないけど、日刊さんは一応、経緯も書いてました。

「飛ばし記事」ってのも確かにあって、それこそ「絞りきれないけど書かないと他社にやられる」なんてとき、『◯◯最有力』とか原稿の終わりの方に『他にも△△らも候補に』とか逃げ道作るわけですよ。
もちろん、やっちゃいけないのは「捏造」なのは言うまでもないけど。

ネット社会になったせいで、ヤフコメなんか見ると「誤報」はまだしも、「デマ」とか「マスゴミがまたやった」みたいなコメントを散見するけど、そういうの書く人、マスコミ嫌いなのにいつもウォッチしていて、メディアの大事なお客様だなって気もします。
「森監督」騒動当時、ネット社会だったらなんて書かれてたかなぁ…なんて想像しますけどね。

話の趣旨は違うけど、この件ではFA移籍の「人的補償」がちょっと状況をややこしくしてる気もします。制度変更は論じられてもいいけど、表記がネガティブなんだよなぁ。「人で補う」っていかにも日本らしいウェットな感じで、そこもファンの気持ちを逆撫でするというか…。MLBほどドライじゃなくていいけど、いまだトレードは「出された」って悪いイメージ持つ人が多いわけで、そのあたりから変わってほしいとも思います。

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