「ズレズレなるままに」記者の力量と食い込み度合いが分かる『悼む』

 先日、元横綱の曙が亡くなりました。相撲担当歴はないんだけど、実は浪人生時代に先代の高見山(東関親方)さんにスカウトされそうになった経験があるもんだから、後々、酒飲み話で「アノとき入門していたら、オレ、曙の兄弟子!」なんて馬鹿な会話したものです。

 さて今回はそんな話じゃなく、著名人が亡くなると掲載される『悼む』といった記事のこと。元所属のサンケイスポーツも、先輩が曙さんの『悼む』を書いてました。「そうだったんだぁ〜」という内容もあったんだけど、ふと思い出したのは同期の顔。去年、早期退職したIは相撲担当が長くて色んな部屋に通じてました。今は大阪本社にいるMも、若貴全盛期に口数の少ない兄弟(特に弟)で毎日1面書いて、「一言喋ったら80行だよ〜」なんて苦悶してたっけ。だから、あの2人が書く『悼む』も読んでみたかったなと思ったわけです。

 もちろん、こうした原稿は他人が知らないエピソードがどれだけあるかで価値が違います。すなわち、記者の食い込みぶりが分かるんですよ。スポーツに限らず、芸能人や作家、政治家から財界人と、「なるほど、そんな人だったのか」とか「そんな一面もあったのか」と感じるもんです。
だから著名人が亡くなると、各社の『悼む』を読みたくなります。こうした原稿には、それほど深く突っ込んでいない『評伝』なんてパターンもあるけど、これは致し方ない。
 ただね、『悼む』の中にも「なんだコレ?」みたいのも散見します。具体的にどこの社、誰の原稿とは申しませんが、担当内ではおおよそ他社の記者も含めて食い込みぶりは知っているから、「あいつがそんな話を知ってるわけない。エピをパクったな」なんて囁やき合うこともあったりします。
本来は恥ずかしいことなんだけど、デスクなんかから「お前、担当してだろ、エピ満載で書け」なんてプレッシャーかけられるから、渋々書く人もいます。

 ちょっと心配なのは、同期も含め昔を知る…すなわち亡くなる年代の方々を知る記者が、かなり早期退職や転職してることなんですよ。定年されたOBに依頼することはあるけど、辞めた(辞めさせた?)人に頼むことはまずありません。
 否応なく著名人は亡くなります。だから、そのとき食い込んでいた記者がいなければ薄っぺらい、誰でも書けそうな『悼む』では読み応えないなぁと感じるんじゃないかと。

自分が関わってきた取材対象でいえば、最近はラリードライバーの篠塚建次郎さんや、ちょっと前なら元東京地検特捜部長でNPBコミッショナーだった熊崎勝彦さんの『悼む』の中には、??ってのもありました。

 著名人が亡くなるのは残念なことだけど、記者は『悼む』で功績や人となりを残すことができます。人の死を待ってると誤解されたら困るけど、著名人が亡くなったら、各社の『悼む』を読み比べてみると、記者の力量が分かるかもしれません。

 かくいう私も、何度か書いていますが自慢できるほどの原稿は書いておりません。ただ、もし亡くなられたときには書き残しておきたい方は何人かいますが、出来るだけ長生きして欲しいと思ってます。

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