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話して放す(2022/6/24)

人は多く、罪悪感の重さをまっすぐに持っていられない。
だから己を過剰に責め、己を無意識に歪めてしまうか、
あるいは己の心を護ろうと、そもそもの問題のほうを「無いこと」にしようとするのだろう。


僕は両親に自分の抱える問題を、両親からしたら我が子の抱える問題を、一緒に持ってもらえずに育った。
それが僕の成長過程での『欠けている部分』でもあった。


父はいつでも他所の子供たちにかかりきりで、他所の親子の悩みが大切で、幼い僕が何かを訴えようとしても

「おまえに悩みなんかあるわけないだろ!」

と一笑し、背を向けて出掛けていった。

母は何かマイナスなことを言おうとすると

「愚痴は言うんでない」

と、何も聴く前に子の口をぴしゃりと塞いだ。


『前向きなこと』には非常に受け入れ口が広く、肯定的で、自由で、会話も多く、おそらく理想的な家庭だった。

しかし反面、家庭内に『暗いこと』『不満』は存在しない、あっても存在させないように、なぜか仕組みがなっていた。
おそらく父がそれを作っていた。


大人になって客観的に物事を測れるようになり、改めて思う。
正直、父が

「あの子たちは大変なんだぞ」

と言って相談に乗ってきた子供たちと比べても、同等以上に僕の抱えている事柄は重く、さらには複数が重なり合っていて、本来ならばどれもが『家族の課題』として家庭でケアすべき問題であったはずだと。

何より、そんな我が子のことを

「うちの子は何も困っていない」

と決めつけ、話すらさせてくれない親とのその関係、そのものも。


なのに父を肯定しようと必死だった僕は、自分の苦しいなんて大したことはないんだと、そう感じることは甘えなんだと、みんなの方が大変なんだと、そう思い込むことで、一緒になって自分の問題を無いことにしようとしたのだ。
父を『良いお父さん』として周囲に見せること、それが父の社会的な立場を護ることだとも信じて。

延いては、それが両親に見てもらえない僕自身の心を護ることにもなっていたのだと思う。


そうやって自分を全て放置した結果、僕は、たとえば

指定難病を患い、余命半年を宣告される

なんていう、一般的にも分かりやすい非常事態に面しても親(家族)に打ち明けるという選択肢を持てず、自分で淡々と葬儀屋の手配までするヘンテコな人間になってしまった。


僕の両親の絶対的な話のできなさ、伝わらなさは、この親を親に持った人間でなければ分からないと思う。

2年前に僕が倒れたとき(これは主に精神面で)、両親に、どうか息子さんの話を聴いてあげてほしいと頼みに行ってくれた愛方が、打ちのめされて帰ってきて、言った。

「私の家は明らかな虐待家庭で毒親だったから、人に話せば歪んでいることがそのまま伝わる。
でも双月の親の難しさは人に説明するのが難しいね。いっそ分かりやすい毒親の方が楽なのかもしれないね。
苦しいね。どうやっても話ができない」


結局のところ、幼少期から心の中で保留になっていた

「もし話しさえすれば支えてもらえたのかもしれない」

という淡い期待と可能性は、

「実際に身動きが取れなくなった状態で助けを求めても、やっぱり聴く姿勢すら取ってもらえない」

「話そうとしても無かったことにされる」

という現実になって返ってきたということだ。


でも今、回り回っておかげで僕は最終的に自力で自身の問題(身体的にも精神的にも)をほぼ完全に越えることができ、立ち上がり、立て直すことができた。
『欠けている部分』、それも過程を踏んで、別の形で埋めることができた。

悪い意味ではなく、淋しい子供の強がりでもなく、とてもフラットに今は『親』は無くてもいいのだと思える。


それに。
危機に直面していた我が子を放置し、他人に対してばかり『話を聴いてくれる良い先生』をやってきてしまった罪悪感をまっすぐに持つことも、今の父には難しいことなのだろうと想像する。

だから我が子のことは無かったことに、あったとしても大したことではなかったことにしなければ、自分の心を護れないのだろうと理解する。

それが父を、父の心を護ることになるのなら、もうそれでいいと思える。
子供のときのような健気な、自身に蓋をして身を呈するような「護る」とはまた違う、もっと大きな…。


ああ、やっと本当に親を超えたんだなあ…と思う。

そして、これでやっと本当に『自分が整う』んだと感じている。


それに、ね。
面と向かうと、どうしても自分の正しさを押し通して防御しようとしてしまう父だけど。
一人になった時、夜寝る前、ふと、きっと、僕のことを小さな頃から遡って思い出して、子の気持ちに添うように考えてくれている時間はあるんじゃないかな…と。

そこまでが、僕の想像と理解。


さて。なぜこんな話をしているかというと、今夜これから、家族全員で実家に集まって食事をすることになっているのだ。
僕が倒れて、復活して、それからまだほんの数度目の。

明るく楽しく順風満帆に子育てを終えたと信じていた両親にとって、初めてヒビが入った(ヒビがあったと知った)今の親子関係。
僕にはこっちのほうがよほど健全に見えるのだけど、ね(苦笑)。

いつもどおり、誰もが何事もなかったように笑顔だけで振る舞うのだろう。

だけどこれまでとは少し違う家族の見え方。

ほろ苦さと、多少の気まずさとを内に共有して、僕はこの人たちとやっと少し、普通の家族になれた気がするのだ。

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