見出し画像

小さな火を灯すように

そうさ
小さな火を灯せ
もっと
小さな火を灯せ
さあ
小さな火を灯せ

『メリー・ポピンズ』の楽曲『小さな火を灯せ』を初めて聞いたのは、2019年12月。新横浜の障害者スポーツ文化センター 横浜ラポールにある「ラポールシアター」で行われた、NPO法人 心魂プロジェクトのクリスマスフェスティバルでの一幕だった。

 歌っているのは、小学生〜高校生の病児・障害児、きょうだい児、彼らと共に生きる子どもたち10人。車椅子に乗っている子や、酸素ボンベのカートを常に引っ張っている子もいる。
 一年の半分は入院生活だという子。心臓病に合併症などさまざまあって常に感染症にならないか気を張っている子。そのきょうだい児として、いろいろ考えたり我慢したり、自分が感染症の元になるのではと気を張ったりしながらも一生懸命に自分を生きようとしている子。
 そんな子どもたちが、小さな胸に抱いた大きな思いや覚悟を「伝える側」として生きようと、パフォーマンスを中心にさまざまな表現方法でメッセンジャーとして歩み始めたチームだ。

 大きなホールでマイクを持ち、人前に立って歌う。ただでさえ勇気のいることだ。さらに彼らは、体力的な大変さや外出の難しさが重なる。それでも「このステージには立つ!」と決し、治療計画を調整して家族一丸となって挑んでくる。
 遊びでも、大人に立たされているのでもない。
 紛れもなく、彼ら自身の確固たる意志で、「今、生きている私たち」を声を上げて伝えるために、ステージに立っていた。

心 暗闇なら
明日は見えない
でも胸に
火花があるなら
道は尽きない

 年齢も声質も、一人ひとりの声の大きさもバラバラ。訴えるように歌っている子もいれば、ただ思いっきり楽しんでいるような笑顔で歌っている子もいる。きっと、歌やパフォーマンスだけなら、もっとうまい人たちはいくらでもいるだろう。
 いや、実際この日は、元劇団四季の俳優や、数多くのミュージカル舞台に立ち映画の歌声も担当したことのある俳優によるパフォーマンスもあった。

 けれど、脳裏にこびりつくように強く記憶に残っているのは、キッズ団の「小さな火を灯せ」なのだ。

 一人ひとり表現も楽しみ方も違うようで、10人みんなが同じ方向を見ている。「私たちは、今日、いまこの瞬間を生き抜くのだ」と。「自分たちの意志で、目一杯感じて、自分の存在を表現して、生き抜くのだ」と。

 命懸けで表現される歌詞たちは、一語一語に小さな火が灯り、命が宿る。意味が、気持ちが、ズンズンと伝わってくる。
「小さな火を灯せ」と歌うその言葉は、自分自身に言って大きくしているようにも、共に生きる仲間になろうと呼びかけられているようにも聞こえる。そして「小さな火を灯せ」の言葉を重ねる度に、彼女たちの瞳の奥の灯火の輝きは増していくのだ。
 彼らが歌うとき「小さな火」という言葉は「命」や「魂」として重みを増す。それは決して、彼らが病児・障害児、きょうだい児“だから”ではない。強い気持ちと覚悟があるから、なのだ。

 彼らの歌う顔を見ながら、声を聞きながら、私は彼らのように「いまこの瞬間」をイキイキと生きたいと思った。そして文章を書くとき、言葉を発するとき、彼らの歌と同じように一言ひと言に小さな火を灯すように記して生きたいと思った。

 その後の交流会で、心魂プロジェクトの代表で元劇団四季の俳優の寺田さんは「どんなに僕たちが一生懸命歌っても、みんな一番印象に残ったのは子どもたちのパフォーマンスだって言うんですよ〜」と、少し悔しそうに、そしてその何十倍も誇らしく嬉しそうに語っていた。


「今日のつーちゃんは、ちょっと言葉が忙しないね」

 以前、大学時代の友達にあった時に言われた言葉が耳に残る。仕事がバタバタし、自身のキャリアにも悩んでいたころだった。

 自分のことに手一杯、慢性的な睡眠不足で何処かいらだっている。そんな様子を、話の内容でも表情でも顔色でもなく、口調や言葉の重さか感じとられたことに驚いた。

 そしてその指摘は、胃の奥にかなりズッシリきた。

 言葉が忙しない。言葉が命を宿していない。何も整理できておらず、言葉にも自分にも周囲にも無責任な状態。きっと、あのときの私はただ周囲や感情に振り回されるばかりで、「自分の意志で、いまこの瞬間を生きる」という覚悟が足りなかったのではないだろうか。

「言葉が忙しない」の一言で、いかに自身の視野が狭くなり他責的になっているか、理屈を超えてわかった。そんな自分の状態は嫌だ、目を覚さねばと思った。


 最近、また「言葉が忙しない」状態に近づいていたなと思うことがあった。仕事に体調、気候変動。いくらでも「忙しなく」なる要因はあるのだけれど、結局それは意志の弱さなのかもしれない。

 意志がふやけて言葉が忙しなくなったとき、その言葉は不用意に人を傷つける。そしてそれは、真っ先に身近な人たちを傷つける。仕事や離れた人など気を遣って理性を働かせる相手ではなく、身近な人たちを。一番丁寧に向き合うべき人たちを。
 相手への甘え、の表れなのだ。頼っているのではない。信頼しているのでもない。ただ、「甘え」なのだ。

 そんな言葉では、そんな向き合い方では、いい人間関係なんて作れない。いいものなんて作れない。いい言葉なんて人に届けられないだろう。

 言葉が忙しなくなる、その一番の要因には体調があるように思う。だからまずは、お風呂に入って、布団に入って、身体から灯そう。

 そうして身も心もエネルギーが充満した状態で、小さな火を灯すように、あの日の子どもたちのように意志を持って今日いまこの瞬間を生きられるように。一言ひと言、一瞬一瞬を掬い上げていこう。

そうさ
小さな火を灯せ
もっと
小さな火を灯せ
さあ
小さな火を灯せ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?