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私にとっての幸せ

「世界中の幸福度を上げる」という人生の大きな目標を掲げている私ですが、今日その「幸せ」について1つ答えが見つかりました。

以前のnote「幸せってなんだろう」ではとても多くの反響をいただき、幸せについての色んなご意見をいただきました。

本当に人によって多種多様な幸せがあるんだなぁと感じたのですが

これだけ沢山の幸せの形があるのであれば、最大公約数の幸せではなく、まずは自分自身にとっての幸せが何なのかを一度見つめ直すことが必要ちゃうか?と思い、今日は風邪で動けないし、良いタイミングだと思ってベッドで横になってずっとそれを考えていました。

で、答えが思いの外ポーンと出てきたんです。

私にとっての幸せ。

それは自分自身の「居場所」があることです。

それは物理的な居場所というよりは、心理的な居場所。

その昔、ほんとに死にたいと思うくらい辛かった時期に、何が私を助けてくれていたんだろう、なんで耐えられたんだろうと考えると、それは「居場所」があったからだなと。

その頃の私を救った居場所、
それは、
「『絵を描く』という能力を認めてかつその能力を求めてくれる人」と、「『共感』できる(させてくれる)音楽」
です。

この2つがなかったら、、と考えると、
恐ろしくて涙が出てきます。

だから、私は自分の中での幸せの定義を「居場所があること」、自分の人生のミッションを「多くの人が自分自身の居場所をつくることができるように支援すること」にしようと思います。

そして、「居場所」の定義は「尊厳」と「共感」を得られる場所、です。

これは私がずっと気になっている日本の貧困問題にも直結するなと思っています。

貧困支援の1つとして、貧困家庭に食料などを無料で提供する等の支援が行われていますが、中にはそれにより自尊心を傷付けられることに拒否反応を示す方もいらっしゃいます。

衣食住よりも大切にしたいものが尊厳なんだと。
私は、このエピソードを聴いてものすごく共感を覚えました。

私は、「かわいそう」という考え方が嫌いです。

私がしんどかった時に私を救ってくれたのは、「かわいそう」と思った人からの憐れみではなく、自分の能力に対する「尊敬」と音楽を通しての感情への「共感」でした。

憐れみと共感は、全く違います。
憐れみは、上から下を見下げること。
共感は、対等な立場で気持ちを分かり合えること。

私は自分と同年代の方の中で、特に慎泰俊さんと吉藤健太朗(オリィ)さんを尊敬しているのですが、それは彼らが他人に対して憐れみではなく深い共感を持って、社会問題を解決しようとしているからです。

マイクロファイナンスとロボット開発という全く違う分野で活躍されているお二方ですが、私はこのお二方がこれだけ活躍されているのは「共感力」と「人の能力を信じ、尊厳を大切にする力」が強いからなんじゃないかと思っています(もちろん実務のスキルもとんでもなく高いのですが、、)。

年代が違う方や歴史上の人物でも、自分が「こうありたい」と思えたり、尊敬するのはこの「共感力」と「人の能力を信じ、尊厳を大切にする力」をもっている方々です。

そういったことを考えていくと、これから5年の目標(仕事・プライベートの両方)にもより意義が出てくるなと。

仕事では、中谷塾という素晴らしい「居場所」をまず500人に広げていく(500人というのは、マーケティングに携わる仕事をしている人の約1%です)。
中谷塾は、他には類を見ない「尊厳」と「共感」を得られる居場所です。少なくとも、私の知る限りでは。

そしてプライベートでは、貧困層の子供を支援する仕組みをつくることを目標としてるわけですが、これの方向性もかなり絞られたなと。

貧困の問題を解決すると言っても、何か物質的なものを「一方的に与える」のではなく、人が自分達の手で自分自身の居場所をつくれるようになるための支援が何かできたらいい。

それは私が高校生の時に通っていた画塾のようなものかもしれないし、Bump of chickenの音楽のようなものかもしれない。

一日寝て風邪もだいぶよくなったし、
明日も目標のために頑張ろう。

▼少し前の記事ですが、良い記事なのでシェア

『24時間テレビ』の季節に思う「かわいそうな人支援」という傲慢
http://diamond.jp/articles/amp/139370?display=b

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