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免許を持たない人による「ぼくのかんがえたクルマ」

HSP勢&内向型人間のオタクである私が贈る「オタ語り」を中心にお送りしてきたnoteなのですが、今回はそこから離れて、自分が長年ずっと考えてきたアイデアを紹介したいのですが。
今回はその第1弾ということで、「クルマ」を取り上げてみたいと思います。


クルマ怖いマン

タイトルにもある通り、私は普通自動車免許を持ちません。
(もちろん原付を含めてあらゆる「免許」がありません)
「クルマ」は便利なんでしょうけど、自分は「利便性」よりも「安全性」を重視する人間なので、「クルマ」を運転していて誰かを傷つけてしまったらどうしよう、と考えてしまうタイプなのです。

まぁ、そもそも対人恐怖症でもあるので、教習所みたいなところに行って見ず知らずの教官のような人とマンツーマンでしゃべるのも無理ゲーです。

そんな、自動車の免許を持たない私がいつも感じていること。
それは、「歩道を歩く時怖くね!?」ってことです。

日本は「クルマ中心社会」なので、どうしてもドライバー側の意見が通りやすい。
信号機のない横断歩道で止まらないという車はなんと「8割」という驚きの数字。
いや、それ道路交通法違反ですよ!!

まぁ、自動車事情以外でも感じるのですが、環境対策について後ろ向きだったり、食品添加物たっぷりの加工食品が満載だったりするのを見るにつけ、日本人は「安全性」よりも「利便性」を重視する傾向がちょっと強すぎるような気もするわけで。
HSP勢で内向型人間という安全重視のマイノリティー側からすると、だいぶ生きにくい社会だなぁ、と思うわけです。

そんな自動車を運転しない私だからこそ考えた「クルマ」。
それはずばり、「やわらか戦車」ならぬ「やわらかクルマ」です。

自動車には運転手や助手席にいる人を守る「エアバッグ」がついています。
でも。

中にいる人を守ることばかり考えて、クルマの外側にいる人の事は考えられていないのか?

といつも思うのです。

提言:やわらかいものでクルマを覆う

私は女子スポーツ作品に特化したオタクを長年やっており、マイナースポーツには詳しかったりするのですが、巨大な透明のボールの中に人が入ってプレイするスポーツに「バブルボール」というものがあります。
(似たようなもので「バブルサッカー」も存在)

※画像はイメージです

要は、"バルーン状のもの"を車の外側に取り付けることで、例えば人や物にぶつかっても衝撃を和らげられるし、クルマに傷だってつきにくい。

環境の事を考えれば、石油由来でないものが理想ですが、「やわらかいもの」をクルマの外側につけてあげることで、事故で人が傷つくことはかなり減少させられるのではないかと思っています。

また、運転する側にとっても、万が一人とぶつかっても低速なら怪我のリスクは少なくできるので、メリットがあると思うのです。

はっきりいって、「クルマ」は「走る凶器」と表現されるように、生身の人とぶつかったら、ぶつけられた側は大変なことになります。
私は「安全に勝るものはない」と考えるタイプの人間なので、現状のクルマ社会の状況を見ていると、安全が著しく損なわれていると思わざるを得ません。

高齢者の事故は「クルマ依存」の結果

最近、高齢者によるクルマの事故の報道が相次いでいますが、その原因のひとつは「クルマがないと買い物ができない」という、行き過ぎたモータリゼーションにあると思うのです。

ローカル線や路線バスといった公共交通は衰退し、お年寄りが車を手放すことができなくなった結果として今の状況がある。
そんな中で、高齢者に「免許を手放せ」と言えるでしょうか?

しかも、今後この高齢化の状況がますます加速していくことを考えれば、今以上に高齢者の事故が増えていくことは明らかです。

自動車産業が大きな影響力を持っている日本では、業界が莫大な政治献金をしてきた結果、ずいぶんとクルマ中心の社会になってしまい、環境に優しいはずの自転車ユーザーは実に肩身の狭い思いをしています。

「やわらかクルマ」は、高齢者の交通事故による被害を軽減し、またクルマを利用しない人にとっても価値あるものになると思っています。
もちろん、デメリットなどもあるので、現状の問題点すべてを解決するわけではありませんが。

「自分たちのこと」だけでなく「周りのこと」も見てほしい

先ほども触れた「横断歩道で一時停止しない車」の割合も、日本では海外に比べて高いというのはやはり、「運転者の意識」によるところが大きいと思います。

「一時停止しなかった理由」を尋ねると、「歩行者が渡るかどうかわかりづらい」というものがありましたが、「渡るかどうかわからない」なら、「進む」のではなく「止まる」という選択を何故できないのか。
そこには、運転手の「余裕のなさ」が表れている気がします。

昨今、ダイハツなどのメーカーの不祥事が報道されていますが、「自分たちさえ良ければいい」という風潮が自動車業界全体のみならず、クルマユーザーにもまん延しているような気がしてなりません。

また、日本は「治安がいい」といわれていますが、実は世界的にみると、「自動車事故における歩行者が被害にあう割合が海外に比べて多い」という事情があります。
これは、明らかに歩行者側の問題というより、運転者の問題だと思います。

「あおり運転」報道でも問題視されましたが、「クルマに乗っていると人は気が大きくなる」傾向があります。
日本人は匿名掲示板を好む傾向が海外よりも高いといわれていますが、「自分が安全なところにいる」と、他者に対して強気に出やすい、という特徴があるという分析もされています。

自動車が便利なのは至極もっともであり、その有用性は否定しませんが、「自分たちの事」だけではなく、「周りの事」も考えてほしい、それが私の願いです。

「ふわふわ」で人は癒される

世界が「柔らかいもの」に満ちることで、殺伐とした社会はもっと良い方向にいくかもしれない。
大げさかもしれませんが、私はそんな風に考えています。

実際に、「柔らかいもの」が人の心身にリラックス効果を与えることは科学的に証明されています。

柔らかいものがリラックス効果をもたらすことには、科学的根拠があります。研究によれば、柔らかいものに触れることで、オキシトシンというホルモンが分泌されることがわかっています。オキシトシンは、ストレスホルモンを減らし、リラックス効果をもたらすことが知られており、柔らかいものとストレス解消の関係が裏付けられています。

リラクゼーションサロン「Chouette」ブログより引用

私は羊が好きで「マザー牧場」や「伊香保グリーン牧場」に何度か足を運んだことがあるのですが、ひつじのショーを見て怒っている人に出会ったことがありません。
皆一様に表情を緩めて笑っている。
柔和」という言葉がありますが、柔らかいものは人を和ませる、そんな効果を表しているような気すらしてきます。(実際はそんな意味ではありませんが)

街を走る「クルマ」が柔らかいふわふわ素材でできていたら、もしかしたら運転者はもっと優しい気持ちになれるかもしれない、そんな期待すら抱いています。

「やわらかクルマ」の課題

まぁ、提言はしてみましたが、実際問題として現在の自動車の規格が大きく変わることは難しいでしょうが、例えば今の自動車に簡単に装着できるようなカバー的なオプション品として、そういう「柔らかい素材のもの」が販売されるようにならないかなぁ、とは考えています。

実際、自分と同じようなことを考えている開発者の方もいらっしゃるようですが、それでも、私の理想は「rimOnO」よりも柔らかい、ビニールボールのようなぶよぶよの素材とか、羊の毛のようなふわふわの素材。

「中の人」を守るだけでなく、「外の人」を守るという発想、もしクルマ開発に関わる方が見ていらっしゃったらぜひともご検討をお願いしたく、どうぞよろしくお願いいたします。

オグリちゃんがお礼を言いたいようです

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