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バリバリの●●です。その5

前回までのあらすじ

 仕事も私生活もうまくいかず、日に日にソウルジェムを濁らせてゆく西野。何をしてもうまくいかない日って誰にでもあるけれど、毎日がそれだとさすがにうんざりしませんか。カップ焼きそばを作っているとき、お湯を注ぐ前に入れ忘れたかやく。原稿が裏表逆なことに気づきながらも押してしまったファックスのスタートボタン。ゆっくり放物線を描きながらテーブルを離れてゆくマグカップ。
 そしてほんの些細なことでその我慢ははち切れて、ついに仕事も家庭も放り出して距離を置き、実家に帰って静養することとなった。

 あたかも私がただのクズみたいに書いてはいるけれど、精神的に参っているときは、たとえ相手が家族であってもストレスの元からは離れろって主治医に言われたからね。
 ちなみにストレスの元を自分でどうにかしようとするのではなく、まず距離を置け、というのは今も実践している。


覚醒ニート

 当時いたセクションの総務担当の上司が、いつも私がフロアで遅くまで残っているのを気にしていたらしく、自然と私が休職中における会社との窓口になった。
 事実、私が「これ以上無理です」と最初に申し出たのも、直属の上司ではなく、この上司だった。

 ならよかったじゃん、って思うでしょ? そんな美しい話で終わるならこんなエッセイ書いてるわけねえんだよ。


前門の会社後門の自宅

 最初のうちは「いいよいいよ、こんな時でないとゆっくり休めないんだから気にするなよ」と言っていた配偶者は、一ヶ月くらいで「おまえまだ働かないの? こっちはアクセク金稼いできてんのにさぁ」などという小言を連発するようになった。休職している私が車で送迎してんのにどの口で言うのかなとは思うわけだが、そもそもあんたも前の年に病んで会社辞めたじゃん。喉元過ぎて熱さ忘れるの早すぎん? 私が同じこと言ったら絶対義実家(=私の家)に「家庭内暴力を受けた」って電話かけたじゃん? まだジャイアンと結婚した方が幸せだったような気がしてきたわ。あいつのほうが家族思いだし。

 そんなわけで家に居てもまったく気が休まらない中、タイミングを同じくして実家の親から「おじいちゃんの調子があんまりよくないから、もしかするとそろそろかも」と連絡が来た。

 迷うことなく荷造りをして、私は実家へ帰った。この理由は簡単に通ったし、何か言われることもなかった。まあ何をどう言われても帰ってたと思うけど。


看取る

 祖父の入院した病院は実家の隣町で、運転嫌いな親が仕事後に見舞うには骨が折れそうだなーということは想像に難くなかった。そこで私は毎日病院に通って、祖父に着替えを持って行ったり、髭を剃ってやったりした。祖父はもともと私が幼い頃から半身不随でまともに喋れなかったので、一方的に声を掛けてあげるだけだったが、まあ無言で世話をすることもないだろうと。
 曖昧だけど頷いているのをみて「そろそろ私だって分かってなさそうだったかなー」と親に調子を報告したり、親を乗せて見舞いに行ったり。つくづく自分の車を持っててよかったなぁと思った。

 月に数回、通院のために札幌へ戻った。受診が終わったら、家には寄らずすぐに実家へとんぼ返りした。いっぺん寄ったら配偶者と大喧嘩をしたので、それからはまた札幌に戻るまで、絶対に家に近づかなかった。おまえら結婚してる意味あんの、とは思うけどじゃあ逆に訊くよ? ハナから分かり合う気がないどころか私を怒る理由がないのに勝手に怒ってる相手と5時間喧嘩してから5時間かけて実家帰るのと、そのまま真っすぐ実家帰るのとどっちが効率的なんだよ。……はい、答えなくていい。解散。


「〇〇」参戦!

 その生活がだいたい3ヶ月くらい続いて、ついに祖父が天にのぼり、実家にいる理由をなくした私は札幌へ戻った。それでも続く通院の日々。ちなみにこの間で薬は少し増えた。

 あるとき、総務の上司が「自分と、西野さんの直属の上司が通院に同行してもいいか」と申し出てきた。
 私からしてみれば、実はその人もかつて心の病で休職していた経験のある人だから別にいいかなあ……と思っていたのだけど、ひとつ「同行は構いませんが、直属の上司にはまだ会いたくありません」と条件を出した。
 わかりました、と返事が来たので一安心した私は、次回受診日のスケジュールを伝えた。

 ここまで書けばもうわかるだろ。病院行くじゃん。そしたら待合の椅子に雁首揃えて呑気に座っていやがんだよ総務の上司と直属の上司がさ。話を聴いたら「(部長が)二人で行けって言ったから」。いや私の意思は? おまえら部長が死ねって言ったら死ぬのかよ……と殺意の波動に目覚めながら、私はその日の診察を受けたわけで。
 しかも上司ズが最初に私の顔を見てなんて言ったと思いますか? 「元気そうで安心した」だって。元気だったらこんな平日の真昼間からてめえでハンドル握って病院なんか来ねえんだよ。


 もう無理だった。今の職場で復職なんか絶対考えられない。そもそも過去にも心の病から復職した先輩を何人か知っているけど、私を裏切った総務の上司を除いては、みんな新聞の切り抜き係みたいな窓際に追いやられたり、親会社を追い出されて「出向→出向解除即再出向→出向解除即再出向……」みたいなPerfumeでも虹色のゲロを吐きそうなポリループに叩き込まれている人ばかりだった。
 そして今回のように、私が安心して縄梯子をのぼっているときに下から火をつけるような会社だ。戻っていいはずがないし、そもそも他に会社なんか死ぬほどあるじゃないか。

 うん。
 このルートはもう捨てよう。

 結局、夏の賞与がもらえるタイミングで退職届を出して、私は人生で初めて仕事を辞めた。
 その後の人生で何回も辞めることになるんだけどね


急転 直上

 仕事を辞めた途端、私の精神は急にビットコインも真っ青なほど上向きはじめた。もともと適応障害っぽい要素もあると言われてはいたものの、退職して元の会社のことを考えなくてよくなったからか、休職し始めてからしばらく楽しめなかったことも、以前のように楽しめるようになったり。

 傷病手当金をもらっていたのですぐに生活が困窮することはなかったが、転職活動もザクザクと進めた。当時はまだ職歴がキレイだったのでやりやすかった。前職を辞めた理由を一回しか答えなくてよかったあの頃はなんともイージーだったな、と思う。
 履歴書に書かれた前の会社の名前を見て「なんでこんないい会社辞めたの?」と訊かれるたび「これでも本当にいいとこだと思いますか? 大木ほど勢いよく倒れるんだぜ……」と全部詳らかにしてやりたい気持ちはあったものの、転職活動で前の会社を悪く言うのはタブーである。私はぐっと気持ちを押し殺した。

 退職からだいたい2ヶ月くらいで、私は新しい会社に入社した。契約社員(正社員登用あり)ではあるが一応賞与も出て、前の会社での経験が活かせる仕事。
 あと(詳しくは書けないが)基本的にルーティン以外は新しい仕事が生まれることはなく、勤怠管理も有給申請もすべて社内システムで完結し、基本的に残業は一切なし。タイムカードはなく、残業申請を出したら上司に勝手に抜かれ、有給申請は「私用」と書いて出すと「後ろに丸カッコで理由を書け」と突っ返されるかそもそも受け付けてすらもらえない会社にいた私からすれば、原始人がいきなりiPadを支給されたに等しい革命が起きたのである。

 ということで、そんな文化の違いを感じざるを得なかった、入社後の私と上司のやりとりをご紹介しておきたい。

上司「ということで、だいたい現段階で説明することはこんなところですが……西野さんから何か質問はありますか?」
西野「はい。エレベーターは使ってもいいんですか?
上司「は? ……ウチの会社、8階ですけど」
西野「はい。一般社員は階段を使え、とかいう決まりはあるのかなあと思いまして」
上司「……以前の勤務先では、そうだったんですか?」
西野「はい」
上司「いや……まぁ西野さんが階段で昇りたいのなら止めはしないですけど……特に使ってはいけないという決まりはないです」
西野「ヘェッヘェッ」

哀しいかな、全て事実である。


 何はともあれ、無事に再就職を果たした。ここから西野夏葉の人生第4ラウンドスタートか……とわくわくする気持ちさえ生まれてきた。
 ちなみに前の会社を辞めてから薬は徐々に減っていて、この会社に入ってしばらくして、通院も終わった。

 こうして、私は見事(おそらく三度目の)鬱とのサヨナラを果たした。

西野先生の次回作にご期待ください



 ……とかやってもよかったんだけど、これ以上引き延ばしてもしょうがないので「バリバリの●●です。」シリーズは今回で終わらせるべく、その後から今日に至るまでに起こったことを書き添えておきたい。


その後の私

 まず、私の鬱状態はこの後も何度か再発した。

 この記事で「前とは違っていいところに入ったねー」で終わったはずの2社目も、急に支社長が変わってとんでもない血みどろの戦場になってしまい、一年半くらいであっけなく再発して辞めた。

 4社目は知り合いの口利きで入った職場だったが、長年職場を牛耳っていたお局様にいじめられた結果病んで辞めた。
 でもあらためて冷静に考えたらちょっと違う気がする。そこに入る直前に私は離婚して、それまで折半していた生活費を全部一人で払う羽目になった結果、払うものを払ったら毎月手元に残るのが1万円以下……とかいう地獄みたいな生活を送っていたからだと思う。あの頃はお金がなさすぎて、58円のマカロニを茹でて醤油かけて食べたり、おやつを買うお金がないので献血ルームで献血後に揚一番をドカ食いしたりしていた。
 働いてはいたものの、月給の半分以上が家賃で消えていた。たまらず今の安アパートに引っ越したものの、引っ越し費用でまた出費に困窮、そして職場ではお局にいびられ……となり、完全にぶっこわれたという流れが正しい気がする。なお、引っ越したのは「引っ越さない」のと「安い家へ引っ越す」のでどちらが得かを計算して選んだ結果ではあるのだけど、どっちにしたってしんどかったよ。

 この2回は、また通院して投薬を受けた。でも途中で生活費のために車を手放したので、最初の病院に通う交通費が惜しかった私は、家に近くて評判の悪くない精神科を探して通院していた。病院を変えたことによって、医療費は自立支援医療制度の支給認定を受けることができ、自己負担が1割で済むようになったのも助かった(※リンク先は札幌市のページです)。
 ちなみに、かつてこの制度を教えてくれたのは最初の会社の総務の上司だったけど、だからって私はあなたの約束破りを許すつもりはない。


 その後は今に至るまで、私の中の暗く黒いものは鳴りをひそめているか、そもそも既にここにいないか。
 まあいないことはないと思うんだよな。Twitterでの異常な自己顕示欲と承認欲求は、表面フラッシュ現象で衣服の表面をモワモワモワモワと走る炎みたいなもので、いつそれが私を再び火だるまにするかわからない。だから日常におけるガス抜きが必要であり、それが私にとっては小説を書くことだったり、カラオケだったり、ドライブだったりするわけであって。

 これまでの間、しばらく会っていなかった人に話を聴いたら「いやー、前の会社でメンタルやっちゃって、今は〇〇してるよ」とか言われることが多くて、何度も驚いた記憶がある。最初の会社で私によくしてくれたおじちゃん同僚も、私が会社を辞めてから何年か後に鬱になって辞めちゃった人がいたりして、本当に誰でもなる可能性がある病気だなあと思う。

 なんにしても、自分が鬱になって体調を崩したって会社や学校は一切責任なんか取ってくれないし、自分の身は自分でしっかり護るべきだ。どうしても我慢できないくらい行きたくないなら一日くらいズル休みしてもいいと思うし。たった一日ズル休みしなかったせいで、結果的に私みたく何ヶ月も死んだように生きてたっていいことなんかないよ。

 あと、受診するなら早い方がいい。とにかく予約が取れないから。行きたいのになかなか取れないー、なんてイープラスかチケットぴあだけでよくないですか? いや私の分のチケットはしっかり確保してほしいですけど。
 精神の疾患は風邪とかみたいに薬飲めば数日で治る類のものではないので、治療を始めるならとにかく早い方がいいと思う。


 最後。

「気持ちの問題だ」
「ただの甘えだ」
「病院行かなくたってうまいもん食って寝てりゃ治る」
「ここでだめならどこ行っても通用しないよ」

 こういうこと言ってくる連中は、あなたの抱えている辛さを理解する気もなければ理解できる能力もないので一切言うこと聞かなくていい。
 特に「ここでだめなら~」。あんたよその会社で経験したことあんの、って訊いてみ。国会の廊下で報道陣に痛いところ突かれた議員みたいな顔になるから。


 結論。

 自分で(しんどい)(辛い)(もう死にたい)(このままじゃまずい気がする)と思うなら、迷わず病院に行くこと。
 この程度で行っていいと思えない……と悩むなら、私にでも悩み事を相談してみてほしい。話くらいなら聴けるから。
 四六時中元気な人の気持ちは私にはわからないけど、どこまで行っても真夜中な人の気持ちは、分かってあげられそうな気がするから。


 解散。

【終】

お読みいただきありがとうございます。いただいたサポートは、創作活動やnoteでの活動のために使わせていただきます。ちょっと残ったらコンビニでうまい棒とかココアシガレットとか買っちゃうかもしれないですけど……へへ………