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初恋 第25話

 時間は待つと長いのに、楽しむとすぐ経つのは何故だろう。ルイスもそうだろうか? マークも? ラストは? 猫のようで猫でない彼もそう感じるのだろうか? いや、やっぱり猫だろう。人間でないことは外見から確かだけど、中身は人間? 

まあいいや。ルイスとマークは結婚式の会場をどこにするか、招待状を誰に出すか何やかやの準備に忙しかった。
(ようやくラストの失踪宣告が認められて、二人は晴れて結婚できるようになった。普通なら七年かかるところを、五年で認められた。)

僕も喜んで手伝った。と言っても、二人になるべく世話にならないように、自分の持ち物を整理するとか、ちょっとした用事の近所への使い走りぐらい。結婚式は半年後で、その前に僕は高校に転校することになっていた……と思っていたらそれもすぐにやって来て明日が寄宿舎に入るための引越しの日なのだった。

今日は二人が僕の門出を祝ってくれる晩餐のはずが、マークの講演が長引いて、おまけに天候が悪くなったので、帰りの飛行機が飛べずに、戻るのが夜遅くなりそうだった。

「寂しくなるわ」
 ルイスは僕の顔を繁々見ながら微笑んだ。僕の好物のステーキとカボチャスープが円卓に並んで、いい匂いを発散させていた。
「大丈夫。ホログラム電話が有るからいつでも話せるよ」
「そうね。あら、嫌だ。いつものように三人分出しちゃった。冷めるから食べましょう」

「なら、最後の晩餐にしよう」
聞き慣れた声がした。僕は驚いてマークがいるはずの椅子を見た。猫のラストがいた。
「お母さん……」

 言いかけて僕は口を閉じた。ルイスには彼が見えていないことをうっかり忘れていたから。僕は父がそこに座っているように思えた。僕と母が食べ始めるとラストもそうした。

彼は実に器用だった。ルイスが横を向いている間に、素早く前足を手のように使って肉をナイフで切って。何処から持ち出したのか、ストローでジンジャーエールも飲んで。スープが減っていく、皿の肉が減っていく。付け合わせの人参やポテトが減っていく。ルイスはすぐに気が付いた。彼女は目を見開き、凝視した。

突然、部屋が暗くなり、僕達の前に風景が映し出された。それはラストの両目が光源になって空間に投影されているようで。

地平線。草原の揺らぎ。左右に風。一瞬滲んだが焦点が合い。視界を覆う湖。猛獣の声。空の反響。記憶が。全ての記憶が噴出。それは原色。刻印される時間。生命の歌の。

水平に荒々しく引かれたピンクのラインそれが盛り上がり揺れてインクのシミのように広がり空へ空へと伸びて全てを掌握翼音フラミンゴの雄叫びピンクが波打ち無限のトーンに分割翼音が完全に世界を覆って部屋は空になり部屋は草原になり部屋は湖になり湖は広がり部屋を覆い尽くし全てをピンクに翼音鳥の影翼音部屋は回転色も影も音も視線も回転突然全体が振動捩れながら螺旋の弧を描き景色の中心に吸い込まれ白濁……壁に……シルエットが——ルイスと僕とラストが並んでいる後ろ姿が——浮かんだ。母は立ち上がり、よろめきながら父の席へ駆け寄った。

「ラスト! あなたなの?」
 ラストは緑の目でルイスをじっと見た。テーブルに前足を付き、伸び上がるとルイスに抱きつこうとしてためらった。
それから跳躍して一瞬ルイスの肩に乗ると彼女の頬に前足で触れ、僕にウインクをして飛んで消えた。ルイスは呆然と立ち尽くしたまま、ラストが食べ終えた皿を凝視していた。

ベッドに入ったが、僕はなかなか寝付けなかった。あのアフリカ旅行から今までの様々な出来事が、頭の中で次々と浮かんでは消えた。それは全てラストとの関係でできていた。

ラストのあの言葉——「最後の晩餐」って——? それは僕には衝撃的だった。もう、ラストは僕の前には現れないってこと。そして食卓の席に座った彼の仕草は以前のラストそっくりだった。人間のラストは居なくなったけれど、その魂が猫に乗り移ったんだ。

僕はラストがルイスにも見えて欲しかった。ラストの声を聞いて欲しかった。もし見えていたら、聞こえていたら、彼女は……ルイスは、彼——マークを受け入れていただろうか? 

日付が変わる頃、部屋の窓をコンコンと叩く音がした。見るとそこに二匹の猫がいた。青い猫と黄色い猫。どちらも緑の目で、部屋を覗き込んでいた。僕が近づくと猫達はバイバイするように前足を動かした。そしてすぐいなくなった。

窓から見下ろすと月の光に照らされた彼らがいた。彼らは寄り添うように並んで歩いていた、尻尾を絡ませながら。そして一度だけ僕が佇んでいる窓の方を振り返ってから、街の闇に消えていった。

その夜、僕は夢を見た。青い猫のラストと黄色い猫が戯れあっていた。ラストは黄色い猫に
「ファースト、君が好きだ」
 と囁いていた。黄色い猫は頷いて目を閉じた。ゆっくりと二匹はキスをした。その瞬間、ラストの顔は僕に、ファーストのそれは未知の女性に変わって……。

 次の日、空は完全に晴れ渡っていた。汽車に揺られながら、僕は、これから始まる学校生活を想像したり、景色が流れる窓を見ては昨日見た夢のことを考えたりした。ラストにとってファーストは初恋の人だったのだろうか? でもラストのようなスマートでクールな猫ならファーストのような恋人がいても不思議じゃないかも! 僕はまだ顔の見えない女性のことを思った。彼女といつかは……。

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