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学者も知らないインド仏教

古代インド仏教には、仏教大学が二つあり仏教の他にも、哲学や医学や他の宗派やヨーガだのたくさんの専門分野の教授僧侶がいて、三蔵法師もここにきて唯識学を学び、ここでたくさんのサンスクリット経典を持ち帰り、漢文に翻訳したのを話している学者はどれだけか?
真言とは古代インド言語を訳さなかっただけなのを言っている学者はどれだけか?
修行や修法を理解できている僧侶はどれだけか?
インド仏教の歴史をちゃんと知っている学者や僧侶はどれだけか?
インド哲学やアーユルヴェーダ医学と仏教、密教の繋がりを知っている学者や僧侶はどれだけか?
チベット仏教を知っている学者や僧侶はどれだけか?
仏教哲学を知っている僧侶はどれだけか?
経典には、釈迦を神格化して言ってもいないこと、やってもいないことがたくさん書かれていますよ。
たくさん語りたいことありすぎ
少しずつ話していくつもりです。
🛐

大乗仏教の運動

 紀元前後に、インドの北西部で新しい仏教の信仰のあり方が求められるようになった。それは部派仏教が出家による自己救済を主眼とし、民衆の信仰から離れてしまったことを批判し、広く大衆(衆生)の救済をめざす運動であった。そこでは、他者のために苦しい修行をするする修行者を菩薩として信仰する菩薩信仰が広がり、また出家せずに在家のままで信仰することも認められた。この新しい仏教は紀元後1世紀に成立したクシャーナ朝の保護を受けて盛んになり、その運動は自らの仏教を大乗仏教と称した。
 1世紀ごろ、大乗仏教の成立に伴い、それまでの偶像崇拝の否定は弱まり、ヘレニズムの影響を受けたガンダーラ地方などで、釈迦の偉大さを実体化して釈迦像としたり、その優れた多方面の性格をさまざまな如来像や菩薩像として表現して信仰、崇拝の対象とする仏像彫刻が生まれた。大乗仏教は仏像と共に中国や朝鮮、そして日本へと伝えられていった。
大乗の意味

 大乗・小乗の「乗」とは乗り物のことで、涅槃(悟りの境地、ニルヴァーナ)に至る手段としてどのような方法をとるかという見解の相違を意味している。「大乗(マハーヤーナ)」とは「大きな乗り物」の意味となり、ブッダの教えに従って出家し悟りをひらくことは自分一人のためではなく、広く人々を救済するためのものであるという思想である。それに対して、上座部仏教に代表される部派仏教は、小乗仏教と蔑称された。
大乗仏教の成立

 本来の原始仏教で仏弟子となって出家するのは自分自身の煩悩を払い、自分自身の解脱を求めるのもであったので、伝統的・保守的な長老たちは大乗仏教の思想をブッダの教えを拡大解釈するものとして否定した。それに飽き足らない改革派グループは長老たち(上座部)の考えを、人を救済することの出来ない「小さな乗り物」、つまり「小乗」であると非難し、自分たちの思想を「大乗」と称した。この思想の違いはすでに第2回結集の時に始まっていたが、クシャーナ朝の時代に仏教の中心がインドの西北に移ったことを背景に、大乗仏教が成立することとなった。その理論を大成したのが2世紀中ごろ、デカンで活動したナーガールジュナ(竜樹)である。


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