自己認知@引きこもりASD

人生引きこもり中の絶体絶命人間。 自分の人生と向き合う機会を与えられたため、こうしてn…

自己認知@引きこもりASD

人生引きこもり中の絶体絶命人間。 自分の人生と向き合う機会を与えられたため、こうしてnoteに綴っている。 見る人が見れば、正体がばれるくらい赤裸々に書いているため、逃げる準備はいつでも出来ている。

最近の記事

閑話 いまのわたし。昔に比べれば雲泥の差

 過去を思い返してみて、自分ながらうんざりするような人間性だ。たいしたことないのに、かわいそうと自分を憐れむだけ憐れんでいる。世界を見れば、悲劇なんてそこら辺に転がっている。私は幸運なのだ。  笑い話では無いけど、いまの私の貯金残高は八万で、ニートだ。お笑いぐさである。  しかし、昔に比べれば悲壮感は少しも無い。なんてったって、周りに人間がいないから。私は異常じゃないし、意味の分からない命令をしてくる奴らがいないだけで、楽だ。絶対に正しい人間なんていないし、私のすべてを否定

    • 自分の人生を振り返る(4)

       もう少し文章を整理して書くよう意識した方がいいように思うものの、思いつくままに書いていくと文章も進むので、このまま進めさせてもらおうと思う。  ネットの数ある駄文のひとつにすぎないのだから、それくらいでいいはず。たまに誤字があるが、そこは広い心でスルーしてほしい。 人生とは何だろう――中学校時代① 中学生時代は、これと言ってあまり特徴は無い生活だった。集団の中で、孤立しながらも自分の立ち位置というものを理解し始めていたからだと思う。  孤立しがちなら、わざと目立てば良いの

      • 自分の人生を振り返る(3)

         前掲のnoteでは感情が先走って、客観的ではない情報をたくさん書いてしまったので、今回は努めて冷静に自分の人生を振り返ろうと思う。 しかし、わたしは人間が嫌いなので、嫌悪感が言葉尻に入ってしまうのは仕方ないのだろう。この嫌悪は言い換えてしまえば、自分に対する嫌悪の裏返しだから、自分を好きになることが無い限り、私は人間を愛することはないのだと思う。 人生って何だろう――小学生時代② 人と集団で遊ぶことがきらいだった。決まり事を守れない周りの人間がきらいだった。でも、空想の中

        • 自分の人生を振り返る(2)

          自分の人生を振り返るなんて簡単だろうと思っていたけれど、私の人生にはいろいろな出来事がたくさんあってそれを言葉にしようとすると、ものすごく時間がかかることに気づいた。言葉にしようとすると、恥ずかしくて苦しいようなものも多い。でも、それを思い起こしてこそ振り返ることになるのだから、私は自分がどれだけ恥ずかしい人間だったとしても書き起こしていこうと思うのだ。 人生って何だろう――小学生時代①保育園の頃から、私は子どもたちと一緒に遊ぶよりも一人で本を読んでいたりするタイプだった。

        閑話 いまのわたし。昔に比べれば雲泥の差

          自分の人生を振り返る

          これは誰の人生というものでもなく、誰に見せるためのものでもなく、ただ自分の人生を振り返るためだけのもの。 これぐらいの人間は見渡せばそこら辺に居るはずだ。 小学生以前――幼少期の記憶自分の一番子どもの頃の記憶は何だろうか。 そう思って振り返ってみても、おぼろげな記憶しか残っていないので多分この記憶が一番子どもの頃のものだろうというものをあげてみる。 ――妹が玄関で泣いていて、私は妹を見つめているというおぼろげな記憶だ。何代も入れ替わってしまった車。今よりも砂利が敷き詰めら

          自分の人生を振り返る