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『可能性にアクセスするパフォーマンス医学』を読んで「人生はいくらでも変えられる」と思った。

 先日、X(旧Twitter)に、以下の投稿をした。

 しかし、この本を読んでから私が行動したことは、上記のことに限らない。
 以下に、その例を挙げていく。

・ 左手でボールペン回しする練習(右手なら得意だけど、左手では上手くできなかった)
・ ストレッチや体操をする際に、手足の伸ばし方や呼吸や目線などを意識する
・ 階段の昇り降りの際、呼吸や太ももの上げ具合、足の平(というんだろうか)の床への降ろし方を意識する

 そのほか、睡眠に気を遣うようになり、例えば寝室にスマホを持ち込むのをやめたり、寝る前には軽いストレッチをしたりしている。
 以前は夜中に目が覚めてそのまま朝まで眠れないこともよくあった。でも、現在はその回数が減ってきている。

 上記の行動との因果関係は不明だが、日常生活でも考え方がポジティブになってきた。
 以前は、過去のことをいつまでも思い返してクヨクヨしていた。
 でも今は、「まぁ昔のことをあれこれ言っても仕方ないし」と、思い悩む頻度が減っている。
 もし思い出しても「はぁ、辛かったな」と過去形で口に出せば、「今は辛くない」と自覚できるし、その現在の環境を選び取った自分への感謝やねぎらいの言葉が次々と頭に浮かんでくる。

 この本では、以下のことも語られている。

 いつ何が起きるかわからない、いつ悲惨なニュースが飛び込んでくるかわからない、不確定要素満載の日々の中で「どんなニューロンのネットワークを構築していくか?」を意識的に選択していける。「誰のどんな影響を受けるか?」を自由に決められる。さらには「どんな運動を行って、どんな自分を創造していくか?」にも向かっていける。
 脳を随時更新し、記憶をどんどん変えながらサバイヴしてきた私たちは、既にその能力を手にしているわけです。

p.232

 最近、自分が何を意識していくか、どんな言葉を自分にかけていくか、ということへの重要さも実感している。

 つい、自分を卑下してしまう癖があった。
 「やめたい」とどれだけ思っていても、気づいたら自己否定の言葉がフッと浮かび、次々と増殖して頭の中が埋め尽くされていく、なんてことがしょっちゅうあった。
 もちろん、とってもしんどかった。
 でも「やめられない」自分を責めることは、自己否定の上乗せである。
 だから、いったん「自己卑下する気持ち」を受け容れ、その思いをノートに書き綴ってみた。
 すると、ビックリすることがあった。
 客観的に、自己卑下する言葉を眺めていくと、それはこれまで私が他者から言われて傷ついた言葉のオンパレードだった。

 思い返せば、そんな言葉を私に掛けてくださった方々の中に、尊敬できたり憧れたりするような方はひとりもいらっしゃらなかった。
 むしろ「嫌な奴だなぁ」という気持ちを押し殺して、仕方なくお付き合いしなくてはならない関係だった方が大多数だ。
 そんな人たちの言葉を知らず知らずのうちに頭の中に取り込んで、自分自身の言葉にしてしまって、何かにつけて自己卑下していたことになる。
 あー、もったいない。

 でも、今は知っている。
 世の中は想像よりもはるかに広く、いろんな人がいる。
 自分の居る環境がどうにも合わないと思ったら、無理にでも合わせる必要なんてない。
 自分の可能性を信じて、考える力を持って、居場所を選んでいくことなんかいくらでもできる。
 そしてそれは、今からでも、全く遅くないんだ。

 どんなときでも、自分自身にかける言葉はポジティブで。
 たとえどんなに身近な人が、自分を否定し続けてきても。
 私の人生を生きるのは、その人じゃない、私なんだよ。

 さも自分で考えたように言ったが、これは二重作先生が以前、ツイートされたことの受け売りである。

 今さらになって、この言葉の重みを実感している。

 大事なのは自分で考える頭、自分自身を信じ続ける勇気、そして行動なんだと思う。
 私も、自分自身にポジティブな言葉をかけ続け、自分を信じ続け、望む未来へと自分をつなげていきたい。

 この本は、今後も折に触れて読み返していくと思う。
 生活上の様々なアクションにおける、様々なヒントを頂けそうな気がするから。
 二重作先生、これからもどうぞよろしくお願いします!

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