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里山通信 - 冬の田んぼが教えてくれること

日本人の心とも言える里山の景色。
その風景に囲まれ、季節を感じながら生活しています。
つい数年前、東京の喧騒の中足元を見ながら歩いていた自分が居たなんて思えない。自分でもそう思う。

今朝、家の目の前にある田んぼへ行った。
去年、この3反の田んぼで無農薬のお米を作ったのだ。
冬の里山は寒々しい。風の音と小鳥の鳴き声だけがする。他に何もないように思う。人間の目にはそう映る。

普通ならばこの時期の里山の田んぼは水がなく、すっかり乾いている。
そしてお米を収穫した後に残る稲藁を裁断し耕運機で土にすき込んでしまう。

いや、もっと突っ込んで言えば、今の普通は、耕作放棄地で草が茫茫の景色だ。人間が昭和に耕作した土地が廃墟化し、退廃し、自然に還っていく様と言っていい。それを物悲しく思うか?それが自然と思うか?それはそれぞれだと思う。

自分の田んぼを眺めると、刈り取られないまま倒れてしまった稲が雑草に紛れ込んでいる。稲にはお米がついている。
実は昨年3反という広さ(約3000m2)を耕作したは良いのだが、まさかほとんど一人で耕作する羽目になるとは思っていなかったのだ。こう言ってしまうと妻に対する愚痴に聞こえるかもしれないが・・・実際そうだったのである。

冬の里山の田んぼへ

もちろん、妻の手伝いもあり、地元の方々からの手伝いも所々パッチワークのようではあるけれど、サポートをいただいた事実に感謝している。

その上、元々数年間耕作放棄地だったこの田んぼを開墾に近いほど手を入れた。草木の根っこを引っこ抜く作業。畔を直す作業。穴だらけの田んぼの水漏れを直す作業。想像以上の労力がかかった。田舎でのスローライフどころか東京の頃よりもはるかに忙しい。自然という壮大なものを相手にした作業。人間の無力さを思い知らされる。

そして3反の田んぼの1反しか刈り取ることができなかった。それをマイナスには思っていない。それも経験だし、自然を相手に一人に人間ができる限界も知ることができた。何しろ収穫できた無農薬の手植えのお米のおいしさったらない。(残りの2反は機械を使って田植えをした)

福岡正信先生のハッピーヒル 

そういったドラマがあって、刈り取られなかったお米が田んぼに横たわっていた。その姿を見るのが怖くて田んぼに出られなくなっていた。今日までは。隣の集落の自然農(無農薬)の農家さんが言った一言が忘れられない。「お米が刈り取ってくれって言ってるよ〜」優しく、少し悲しそうに言っていた。自分の手で作る苦労がわかる人は、お米への愛着があるのだ。あの時の言葉が今わかる。

ようやく意を決して、今年の田んぼの準備のために、残骸になったこの田んぼの稲と雑草を草刈りすることにした。そして田んぼに降りて草刈りを始めて数分間は悲壮感。それしかなかったのだけれどしばらくしてそれは発見、驚き、ついには喜びに変わった。

無農薬の畑にはカヤネズミの巣がたくさん!

雑草と倒れた稲藁で覆われた田んぼの土は乾燥しておらずしっとりとした豊かな土だったのだ。そしてそこには冬をなんとか耐え忍んでいる小さな微生物たちがいた。他の田んぼでは見られない景色だった。

自然農と先ほど書いたけれど、それはつまり無肥料・無農薬のことを指す。つまりどういうことかといえば、自然の力を活かして、無駄な肥料を与えずとも自然が織りなす生態系のバランスから生まれる生命体(虫や微生物)の生き死にによって土が循環され、栄養が補給される。僕が見た今日の土はまさにその土だった。その発見からしばらく草刈りの手を止めて土の世界をのぞいてみる。人間の目線から虫の目線へ・・・人間は何も見えていないんだなぁと思う。

物悲しい冬景色はカモフラージュで、草をかき分ければそこに生命の静かな営みがあったのです。それも力強い生命の息吹が。

驚きが喜びに変わり、次に浮かぶのは新しい未来図。

黒い部分は稲霊・イナダマ(米麹の菌です)

そうか!自然農は農法ではない。生きる哲学、人間の指針のようなものだ。
自然を観察し受け入れ己を知ることだった。それが僕が二拠点生活を始めたきっかけだったはず。自然の中に人の真理がある。

人はその自然を観察し、そこに寄り添いながら手を貸してやる程度でちょうど良い。そう思えた瞬間にアイデアが浮かんでくる。

まずこの稲や雑草を軽く裁断程度に切り目を入れて田んぼにうっちゃっておく。そして冬なのに水を入れる。普通は春まで水は入れない。この冬に水を入れる農業を「冬水たんぼ」または「冬期湛水」という。これによって水に暮らす微生物を活かし、彼らの生息地を田んぼにキープする。つまり土に栄養がある状態を作る。田んぼのイトミミズ は腐った稲を食事にする。僕がやるのは裁断することで稲が腐食しやすくするだけでいい。

おだがけ ・天日干しのお米は乾燥機よりも格段に美味しい

さらに水を深水(10cmちかう)にする。そうすれば雑草が生えにくい。さらにいえば稲藁や雑草をうっちゃっておくので日陰になり春まで雑草を抑制できる。完全なる生態系のバランス。これは人間が考えなくても自然が繰り返し繰り返し行ってきた営みです。

僕はその現実をすんなり受け入れるようになれた。そうすると、この田んぼへの愛が温かくほっこりと湧いてくる。この喜びを誰かと共有したいけれど。それもまた自然と人の関係なのだろうか?真理は自然の中にあるとでも言わんばかりに・・・喜びは共有するものではないのかもしれない。それぞれが心に灯す温かみななのかもしれない。

そんな里山の冬景色。

春には田んぼ作りのイベント・お米づくりイベント・里山再生のイベント・田んぼオーナー制などなど様々なイベントを去年同様に開催します。お子様連れでも気軽に参加できるコミュニティの里山ビレッジ WISH HOUSEへ是非遊びにいらしてください。宿泊施設も完備しました。

1年間の田んぼ作りの記録を動画にまとめてみました。



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