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【創作童話】鏡のとりこの物語:後編

前回の続きです)


しかし自分を愛していないことが
分かり切っている相手に
こちらだけが愛しているとは言えず
ただ真夜中に会いに行くだけの
関係が数年続きました。

その間に少女は成長し
まるで満月の化身のように
いっそう美しい女性になりました。

年頃になった彼女のもとには
たくさんの男性が求婚しに来ました。

怪物は彼女が他の誰かのものに
なってしまうことを恐れて

「お前は人間の男と結婚するのか?」

「私は誰の者にもならないわ」

不愉快な質問だったのか
彼女は珍しく目の奥に敵意を燃やして

「この美しい体を
私以外の誰にも触れさせない」

相変わらずのナルシストですが
異性に興味は無いと分かって
怪物は少し安心しました。

けれど、いくら本人はその気が無くても

「でも親は、お前と男を結婚させて
自分の事業を継がせたいんだろう」

「さっきから何が言いたいの?
言いたいことがあるならハッキリ言って」

彼女の追及に、怪物は少し躊躇ったのち

「……俺もお前に求婚してはダメか?」

先ほどまでの猫の姿から
見る間に美しい青年に姿を変えると
懇願するように彼女の前に跪いて

「この姿ならお前の傍に居ても
誰も俺が人間じゃないとは思わない。
流石に人間の商いまでは分からないが
この家を継ぐのに必要なだけ勉強する」

「……だから俺を選んでくれ。
俺を好きになってくれ」

プライドを捨ててはじめて正式に
彼女に愛を乞いましたが

「はじめて会った時に言ったはずよ。
どれだけあなたが想いを寄せても
私があなたを愛することは絶対にあり得ない」

しかし拒絶も束の間
彼女はなぜか辛そうに顔を歪めて
目に見えないバリアを弱めると

「でも、もう出会ったからには無理なのね。
あなたはどうしても私を諦められないし
私もあなたを拒み切ることはできない」

彼女は独り言のように言うと
最後に聞き取れないほど小さな声で

「この世であなただけが
私を終わらせてくれるから」

彼女が何を言っているのか
怪物には、いつも以上に分かりませんでした。

それでも彼女が受け入れてくれたおかげで
結婚することはできました。

怪物は、もう怪物としての自分は捨てて
これからは身も心も彼女と同じ
人間として生きようと決意しました。

彼女の親にも認められるように
必至に学んで仕事も覚えました。

しかし彼女は怪物が
自分に触れることを決して許さず
後継ぎには養子を取りました。

人間と怪物ではもともと
子どもはできないかもしれません。

それでも試すことすらせず
養子を取るなんておかしい。

彼女の親だって家の血が途絶えることを
望まないのではないかと言いましたが

「私も養子なのよ。
だから受け継ぐべき血など
もともとないわ」

とあっさり断られてしまいました。


結婚し夫婦となった今も
自分は彼女に愛されていない。

その事実を突きつけられるたび
怪物の心は血を流しました。

それでも彼女に乱暴しようとか
逆に愛想を尽かして離れようとは
少しも思いませんでした。

いつかは愛されたいという
願いは未だに持ちながらも
彼女から離れる苦しみを味わうよりは
ただ傍に居させてくれるだけで
充分だと思っていました。


やがて彼女の両親から受けついだ事業は
立派に成長した跡取りに任せて
怪物と彼女は隠居しました。

かつて怪物が暮らしていた洞窟ではありませんが
町の中にあっても人と関わることの少ない
ほぼ二人きりの静かな生活で
怪物はようやく少し穏やかな幸福を
感じられるようになりました。


しかし美しかった彼女の容姿が
老いによって少しずつ衰えてきました。

怪物が彼女に惹かれた理由は
顔かたちの美しさではなかったので
容姿が変化することは構いません。

ただ、だんだん小さく萎んでいく体は
迫りくる命の終わりを予感させて
怪物を恐れさせたのでした。


老いていく彼女とは反対に
怪物は彼女に求婚した時の
青年の姿に戻っていました。

今は彼女以外の目を気にしなくていいので
わざわざ老いて不自由な体で居る必要が無いのです。

そんな怪物からすれば
老いから逃れられないことは
本当に恐ろしくて

「どうして人間は老いる?
なぜ俺と同じように時を止められない?」

独り言のような怪物の問いに彼女は

「できてもしないわ」

「なぜ? 終わりが怖くないのか?」

「終われないほうが怖いわ」

彼女は相変わらず
底の見えない暗闇のような目を
怪物に向けると

「あなたのように自在に形を変えて
永遠に終わらない時間を
一人で生きるほうが怖いわ」

確かに彼女の言うことも一理あります。

死んでいく彼女よりも
老いを恐れて時を止めて
死ねずに残ってしまう自分のほうが
ずっと不幸かもしれません。

それからさらに時が経ち
すっかり老いた彼女は
死に際に、こう言い残しました。

「……ずっとあなたを拒絶していたけど
本当はずっとあなたを待っていたの」

「ずっと俺を待っていたって……どうして?」

「あなただけがこうして何も知らずに私を愛して
終わりへの恐怖を和らげてくれるから」

彼女はベッドに横たわったまま
傍らに座り込む怪物の頬に触れると

「……ずっと傍に居てくれて、ありがとう。
愛してあげられなくてゴメンなさい」

珍しくなんの含みも持たない
ただの人間のように一筋の涙を流して
静かに目を閉じました。


彼女は最後の最後に怪物に
ほんの少しの優しさと
ともに在った意味を与えてくれました。

たた、それは怪物が求めていた
愛ではありませんでした。

これだけ尽くしても愛してくれなかった。
報いてくれなかった。
時間を無駄にした。

(……と、嫌えたら良かった)

実は怪物は密かに期待していたのです。

彼女がこの世から消えてしまえば
自分の想いも流石に切れるのではないかと。


しかし実際は彼女が最後に見せてくれた
ほんのわずかな思いやりのせいで
口づけすら一度も交わさなかった相手が
余計に恋しくて仕方ありません。

(お前はもうどこにも居ないのに
これからは誰を見つめればいい?)

最愛の人を亡くした後の孤独は
以前の独りぼっちとは全く違い
酷く耐えがたいものでした。

ですから怪物は以前
住んでいた洞窟には戻らず
せめて人の気配があって
少しは気の紛れる人里で
暮らすことを選びました。

人里で暮らすには人の姿がいちばんです。

彼女の夫の姿のままでもよかったのですが
怪物は例え形だけでも彼女の姿を見ていたくて
はじめて出会った頃の少女の姿になりました。

しかし子ども一人では街では暮らせません。

しばらくは身寄りのない子どもを
保護する施設にいましたが
彼女はとても愛らしい子どもなので
すぐに養子にしたいという人が現れて
断る理由もないので大人しく引き取られました。


彼女の伴侶になるために
たくさん勉強した怪物には
改めて教育を受ける必要はほとんど無かったので
両親や客人の相手をする以外は
もっぱら鏡を見て過ごしていました。


最愛の人と出会い
失った経験のおかげで
少しは中身ができたのか
鏡に映る彼女は
はじめて変身した頃よりは
彼女に似て来ました。

人目をはばかることなく
飽きることなく手鏡を覗いているので

「あの家の子は確かに美しいが
大変な自惚れ屋だ」

と周囲の人たちは苦笑して
やがて『鏡のとりこ』と呼ばれるようになりました。

しかし怪物自身は

(彼女と同じ姿で
彼女と同じように呼ばれても
私は彼女ではない)

どれだけ彼女に似て来ても
虚像でしかない姿を見つめながら
自惚れるどころか
静かに絶望していました。


夫妻にもらわれてから一年。

(そう言えば人間は齢を取るのだった)

前も彼女の夫として
他の人間と暮らしていた時は
わざと肉体を衰えさせました。

しかしあえて醜く無力になっていくのは
本当はいくらでも若いままでいられる怪物には
とても抵抗のあることです。

(彼女がいちばん美しかった時までは
齢を取るフリをしても構わない。でも、それ以上は嫌だ)

大人になったらこの家を出よう。
そして、また出会った頃の彼女に戻って……そして?

何度繰り返す?
いつ終わる?

死ぬのは怖い。老いるのも怖い。
でも永遠に生き続けるのは嫌だ。

(お前に会いたい。傍に居て欲しい。一人は嫌だ)

(私がお前のそばに居たように
お前に私のそばに居て欲しい)

(死を恐れずに済むように
最後の時に、そばに居てくれ)

もう会えない人の姿を鏡に映しながら
叶うはずのない願いを繰り返していた時。


青白い月明かりが差し込む
子ども部屋の窓から怪物が現れて
『鏡のとりこ』に恋をしました。


かつての彼女と同じ姿の自分に
かつての自分と同じ姿の怪物が
心を奪われてしまったのを知って
かつての怪物は全てを理解しました。

彼女が自分を愛せなかった理由も
彼女が自分を拒めなかった理由も
そしてこれから繰り返される物語の結末も。

何も知らずに自分を愛した
怪物が酷く憐れでしたが
真実を教えることも彼を拒絶することも
『鏡のとりこ』にはできませんでした。

死への恐怖を和らげて
安らかな終わりを与えられるのは
自分だけだと知っていたので。

それでも自分と同じ想いを
目の前の怪物にさせるのはあまりに気の毒で
せめてのもの抵抗として。

――私に愛されるなんて期待しないほうがいいわ。

――私があなたを愛することは絶対にありえないから。


🌸最後までご覧くださり、ありがとうございました🌸