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【創作童話】鏡のとりこの物語・前編


昔々あるところに怪物がいました。

普段は化け物らしく人目を避けて
深い森の奥にある
真っ暗な洞窟に住んでいますが
人が三度は生まれ変わるほどの時間を
ずっと一人で過ごすのは退屈です。

なので暇を持て余した怪物は
世にも恐ろしい姿に化けて
人から食料や金品を脅し取る以外にも

美男美女に化けては
恋人たちや聖職者をたぶらかして
嘲弄ちょうろう する遊びをしに
よく人里に出かけていました。


常に暇つぶしの種を
探している怪物は、ある時
面白い噂を耳にしました。

街でいちばんの豪邸に住む
まだ十歳にもならない少女が
自分の美しさに見惚れて一日中
鏡ばかり見つめているそうです。

鏡を見ることへの執着が
あまりにすさまじいことから
『鏡のとりこ』と呼ばれているとか。

そんなあだ名がつくほど
鏡を見続けているなんて
ずいぶんな自惚れ屋だと
怪物は面白がりました。

自分の容姿にどれだけ
自信があるのか知らないが
せいぜい化粧で色をつけるか
コルセットで締め付けるくらいしか
顔かたちを弄れない人間と違って
どんな姿にもなれる怪物のほうが
美しさにおいて断然有利です。

絶世の美少女に化けて見せて
少女の鼻を折ってやろうと
怪物は意気揚々と出かけて行きました。


しかし人目を忍んで
少女の住む豪邸に向かった夜。

青白い月明かりの
差し込む子ども部屋で噂どおり
鏡を見ていた少女を目にした瞬間

(これは俺の負けだ)

と怪物は一目で敗北を悟りました。

どんな姿にもなれる怪物ですが
一度でも見たことがあるか
頭の中で思い描ける姿にしかなれません。

しかし少女の美しさは
怪物の想像の限界を
はるかに超えていました。

一度でも目にしたからには
少女と全く同じ姿になることはできます。
しかしそれでは相手を
負かしたことにはなりません。


ところで怪物はこの時
まずは少女を怖がらせてやろうと
ドラゴンの姿をしていました。

しかし怪物の気配に気づいて振り返った少女は
背後から自分を見つめていた
ドラゴンの存在に流石に驚いたものの
わずかに目を見張っただけで
悲鳴の一つもあげませんでした。

(普通なら叫んで逃げるか
動けないとしても腰を抜かして震えるだろうに)

怪物は少女の反応を不思議に思って

「俺が怖くないのか?」

怪物の問いに少女は
やはり奇妙に落ち着き払った態度で

「別に怖くないわ」
「俺がお前をさらうとしてもか?」
「なぜ私をさらいたいの?」

少女の質問に
怪物は言葉をつまらせました。

最初は少女を怖がらせて
次に絶世の美少女に化けて

「お前が誇っている美しさなんて
なんの意味も無い」

と悔しがらせるはずでした。

しかし誘拐をほのめかしたのは
少女を怯えさせようとしたのではなく
本気で浚ってしまいたいという
無意識の願望の表われでした。

今まで作り物の美しさによって
多くの人をとりこにして来た怪物でしたが
生まれてはじめて自分のほうが
ただの人間の少女に
心を奪われてしまったのです。


他者に対して
こんな感情を抱くのははじめてで
怪物は気まずさにモジモジしながら

「お前が噂どおり美しいからだ」

しかし怪物の言葉に
少女はふっと皮肉に笑って

「美しいだけでいいなら
私の姿を真似たらいいじゃない。
あなたは鏡のように他のものの
姿を映しとれるんだから」

少女の返答に怪物は驚いて

「なぜ俺が変身できると知っている?」

しかし少女は急に興味を失ったように
怪物から目を逸らすと
また手鏡に映った自分の姿を
眺めはじめました。

じれったくなった怪物が
「おい!」と声を荒げると
少女は子どもらしからぬ
冷たい視線をこちらに向けて

「怒鳴られるのは嫌い」

ぴしゃりと怪物を叱りつけると

「私と居たいなら、あなたが
この家にいらっしゃい。
でも私に愛されるなんて
期待しないほうがいいわ」

「私があなたを愛することは
絶対にありえないから」

と続けざまに言いました。

少女に拒絶された怪物は
あまりの悲しみに文字どおり
飛んでその場を逃げました。

ドラゴンの翼で力強く空を掻きながら

(あんな女、見た目がいいだけで
ちっとも優しくない!)

一緒に居たって
きっと胸が痛くなるだけで
楽しい気持ちにはならない。

少女に言われたとおり
自分は変身できるのだから
あの美しさだけ借りればいい。

しかし洞窟のある森に戻った怪物は
少女の姿になって夜の湖面を鏡代わりに
自分の姿を眺めたものの

(……違う。形は全く同じなのに
あの娘のように美しくない)

同じ人間でも気分によって
顔つきが変わるように
どんな心、どんな想いで
そこに在るかによって
見た目の印象は変わるものです。


怪物が写し取った少女の姿は
非常に整った形をしただけの
ただの子どもでした。

本当の彼女はもっと
この月明かりを映す漆黒の湖面のように
表面はキラキラと眩しいのに
中身は底知れず深くて暗いのです。

底に何を秘めているのか
覗いてみたいけど
そのまま引きずり込まれて
二度と這い上がれないような
恐れと紙一重の引力を
怪物は少女に感じていました。

(もっと、あの娘の姿を見たい。
行けば余計に傷つくと予感しているのに)

彼女の姿を真似て眺める行為は
決して会えない人の姿絵を
見つめるようなもので
かえって恋しさが募るだけでした。

こんな気持ちを抱くのは
本当にはじめてで
怪物は浮かれるよりも戸惑いました。

過去には美男とも美女とも
反対の性別に化けてからかい
恋愛もどきを楽しんで来たのに。


けっきょく恋しさに負けて
怪物はそれから毎晩のように
『鏡のとりこ』に会いに行きました。

最初の夜に
自分から来てもいいと言っただけあり
意外にも『鏡のとりこ』が
怪物を追い返そうとすることは
ありませんでした。

しかし、それとは別に

「あなたは大きくて恐ろしい姿が
お気に入りのようだけど
人目につかれちゃマズいし
正直邪魔だからもっと小さくて
目立たないものになってよ」

「やだ。小さいものなんて
弱くて格好悪いじゃないか」

怪物の返事に
少女はまた皮肉な笑い方をして

「あなたは大きなものに化けて人をおどかし
美しいものに化けて人をたぶらかすんだものね」

また知るはずのないことを口にした少女に
怪物がなぜと問う前に

「あなたには中身が無いから
強いもののフリをしないと
怖くて人と話せないのね。可哀想に」

少女の指摘は
怪物の無意識の劣等感を的確に抉りました。

退屈ゆえに人の愚かさを
からかって来た怪物ですが
普段は洞窟に住んでいるのは
自分が異端者だと自覚しているから。

人間とは違う生き物であるがゆえに
いつか存在を知られて狩られることを
恐れているのでした。

しかし怪物はさんざん
小ばかにして来た人間を
本心では恐れているなど認めたくなくて

「この姿が見かけ倒しか試してみるか!?
この牙と爪があればお前の柔い皮膚くらい
簡単に引き裂けるんだぞ!」

怖い声で脅すと娘は珍しく

「……やってみたらいいわ」

怖がるどころか面白そうに笑うと
自ら怪物に歩み寄って

「殺せるものなら殺しなさいよ。
じゃないと、あなたは
もっと私が好きになって
もっと別れが辛くなるわ」

少女の異様な迫力よりも
自分の気持ちがバレていることが
恥ずかしかった怪物は

「こ、この自惚れ屋め!
なんで俺がお前のような冷たい女を
好きになると思うんだ!?」

大声で誤魔化そうとしましたが
少女は今日も氷のような冷徹さで

「あなたのことなら、なんでも知っているから」
「なんでお前は、そんなに俺に詳しいんだ?」

怪物は少女の手鏡を見てハッとして

「もしかしてお前は魔女なのか?
その鏡で未来が見えるのか?」

「これはただの手鏡よ」

「でも私はあなたにとって
魔女よりもっと悪いもの」

怪物はいよいよ怖くなって
また少女から逃げ出しました。

会うたびに怪物は少女が自分にとって
とても不吉なものなんじゃないかという
予感を胸の奥で強めました。

それでもなぜか
自分を愛してくれる気配など
みじんもない彼女に
怪物はどうしようもなく
惹かれてしまうのでした。


強くてカッコイイものでいたいという
プライドを捻じ曲げて
怪物は少女が希望するとおり
小動物に化けてやりました。

すると、いつも自分が居ても
鏡ばかり見ている彼女が
珍しくこちらに目を向けて

「……ふわふわね」

柔らかい、と子猫になった自分を
優しく抱きしめてくれました。

彼女の温かな胸に抱かれるのは
今までの孤独や不満が
いっぺんに溶けてしまうほど
素晴らしい体験でした。

(やはり俺はどんなに怖くて報われなくても
この冷たい女が好きなんだ)

そして
どれだけ惨めな想いをしてもいいから
いつも彼女のいちばん傍にいて
いつかは愛されたいと願うようになりました。


🍀続きます🍀