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「中身が無い。底が浅い。薄っぺらい人間」という評価について


人は時に自分や他者の
人間性や言動について

中身が無い。
底が浅い。
薄っぺらい

など表現する。


私もつい最近までは世の中には

「中身の無い人間が居るんだ……」
「中身の無い人間にならないようにしなきゃ!」

と思っていたけど

noteでの自分の投稿と
リアルでの自分の言動を
比べて気づいたのは
当たり前の話。

日常会話でいちいち

「中身のある」
「底が深い」
「重厚な」

話をしている人のほうが
珍しいよね、ということ。


ほとんどの人は日常的な会話はなるべく

明るく
簡単で
誰も傷つけない

他愛もないやり取りがよいと考えている。
逆に

重くて
暗くて
難しい

話題は誰も好まないだろうと
無意識に遠慮して
ほとんどの場合は

ドラマや漫画などの娯楽系。
異性のタイプなどの恋愛系。
時事ネタや人のうわさ話など情報交換系

など自分以外のことをネタにする。
自分について話すとしても

何をした。
どこに行った。
何を買った。
何になった。

など表面的な情報の
やり取りになることが多い。


この時、お互いに
学校や会社での休み時間や
お茶の間で話すに相応しい
他愛のない会話をしているんだって
認識を持っていればいいんだけど
それがいつもだと

「この人いつも人の話ばっかりだな」とか
「少しはものを考えないんだろうか?」

などの印象を与える場合がある。

「俗っぽい会話を喜ぶ中身の無い人」
という印象を持ってしまったら最後
余計に

暗い
硬い
重い

話題について話す機会は失われる。


そのまま別れてしまった場合

「表面的な会話しかできなかったから
中身が不明の相手」

と分かっていればいいけど

「表面的にした会話を相手の全て」

だと思ってしまった場合

中身が無い
底が浅い
薄っぺらい

という感想を抱くのかもしれない。


閉じた箱の中身を
知ることはできないように
閉じた心の中身を
知ることはできない。

自分が人に
自分の思考の全てを
打ち明けることはしないように

向こうもこちらに
向こうの思考の全てを
打ち明けることはしていないと
考えるのが自然だ。


ともかく

中身が無い
底が浅い
薄っぺらい

という感覚は
表面的な会話によって
閉じた箱の外側か
ごく浅い部分にしか
触れていない時に起きる現象であって
実際には「中身の無い人間」は居ないということ。

例えそれが自分自身への評価だとしても。


もしあなたが自分のことを

中身の無い
底が浅い
薄っぺらい

人間だと思っているとしたら
あなたも自分の心の箱の表面か
ごく浅い部分にしか
まだ触れていないんだ。

心の中には目を背けたくなるような
恐怖や醜悪がたくさん詰まっているから
都合の悪い感情は箱の中に閉じ込めて
無かったことにしている人も多い。

でも心の中にある箱は
パンドラの箱と同じなんだ。

蓋を開ければ目を背けたくなるような
たくさんの災厄が飛び出すけれど
慌てて蓋を閉じないで最後まで出し切れば
ずっと探していた希望が見つかる。


🌸最後までご覧くださり、ありがとうございました🌸