言葉の因数分解を

こんにちは、れいらです。

実は高校で課題探求をしている身で、探求と研究って違うんですよーってお話を聞かせていただいて、想ったことを綴ろうかと。

研ぎ澄ます「研究」と、
深くまで突き詰めていく「探求」

研いでできたものを評価してくれるのを、すごいなあと思いつついつも削り落とされた破片が気になってしょうがない。
だから「探求」って素敵って思うし、結果が全てじゃないこと、すごいものが出て来なくてもただ深く掘ったことがそのまま受け止めてもらえることに安心する。

多分、小さい頃から探求、がすき。
たんぽぽの綿毛がふーってしたくなる理由とか
なんで数学の参考書見たら眠くなるのかとか
生まれた意味とか
考えて書いて、自分の出した答えにふーんって言って
1+1の答えは2じゃなくてもよかったし
それが心地よかった。

結果が大事って、いつ学んだんだろう。
受験の時かもしれない。
結局正しくても先生に嫌われた子の内申は悪かったし、
授業中寝てても100点を取る子はいた。
「あいつはできるから」の暴力。
結果が正しいってわかっていても、なんだか自分の外見だけ見られてるみたい。
偏差値、顔の黄金比、身長

お話が逸れました。
なんの話だったっけ。
そうそう、研究と探求。
探し求めていたいじゃんってお話でした。

探求が研究に変わる瞬間、そこにちゃんと全ての道のりが詰まっているといいのに。
友達は探求の結論に「研究論文を出したい」って言っていて、形にできるといいねってお話をした。
ドットみたいに探求の中間地点に点を置いた時、オセロみたいにブワッと今までが「研究!」になってその点しか見られないってことになりませんように。


以下、今回のインスピレーションをいただいた記事です。
良ければ是非。

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