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Julian Lennon - Valotte / バロッテ - 1984

今はすっかり、おっさんになってしまったジュリアンですが、この頃はまだ、透明感のある美少年の面差しが残っていましたね。

彼の本名はジョン・チャールズ・ジュリアン・レノン。
はい、誰もが知るビートルズのリーダー、ジョン・レノンの長男です。

彼のために、ジョンの親友でありバンド仲間でもある、ポールが書いた曲が、かの有名な「ヘイ・ジュード」

The Beatles「Hey Jude」1968

ジュードと言うのは、ジュリアンの愛称の一つ。ジュリアン自身はジュールと言う、フランス風の相性を使ってますが。

ジョンと最初の妻シンシアとは、シンシアがジュリアンを身ごもったことでの責任を取っての出来婚(授かり婚)。そして、ジュリアンの名は、ジョンの母(ジュリアンにとっては祖母)だったジュリアから取られたもの。

そして、ジュールの父親たるジョンは、両親とはほとんど生活することなく、叔母夫婦(ミミ叔母さん)の元で育てられ、定期的に訪れる母と過ごす時間はあったものの、愛情不足であるのは間違いなく…船乗りであった父とは、ほとんど接点ないまま、父親の愛情も解らぬままに大人になり…

普通の過程、親との関係を知らぬまま父親になってしまったので、父親が息子に対してどのように接するべきかを知らず、また結婚生活においても、妻に対する夫の役割にも逃げ腰で、戸惑いの中、家庭に居場所を見つけられず…

気が付けばヨーコと出会い、不倫にのめり込み妻子を置き去りにしたのですね。父と母が離婚したのは、ジュリアンが5歳の時。

「僕にとって、父親と言うものを教えてくれたのはポールなんだ」

ジュリアンにとって、父ジョンはとても遠い存在で、父の親友であったポールがその代わりになった人でした。

父に見捨てられて落ち込んでいたジュリアンのために、ポールが書いた曲が「ヘイ・ジュード」なのでした。この曲の版権を、ジュリアンが1996年にオークションで買い戻しています。「だって、ポールが僕のために作ってくれた曲だから」…と。ちなみにその金額は2万5千ポンド。

The Beatles「Lucy In The Sky With Diamonds」1967

3歳になった、ジュリアンのお絵描きとその説明から、父ジョンはこの曲を作りました。ドラッグでトリップした幻覚の歌という人もいるけど、そうではないんですよ。

ジュリアンの想像の世界が、ジョンにインスピレーションを与えたんです。

John Lennon「Ya Ya」1974

父、ジョンのこの曲のドラムを叩いたのは、ジュリアン11歳の時。

母親の面影を求め、欠落した母親の愛情を与えてくれたのが不倫相手であり、再婚したオノ・ヨーコでした。二人は色々あったけど、元鞘に収まり、ショーンを授かりました。

ショーンが生れてから父性に目覚めて、主父業に専念した父のことを、見捨てられた子供であったジュリアンはどう感じたのか…ちょっと切ないです。

どうでもいいことですが、この頃のジュリアン。めっちゃ美少年だったんですよ~ もうね、ショタコンの私としてはウハウハww

ね。可愛いでしょう…けど今では…
時の流れと言うのは無情なものです(T^T)

まあね…ヨーコとの出逢いによって、ジョンが変わっていき、大人の男になれたのは事実。悪ガキから成長したって言うのかなー

でも、ショーンのために育児を励んでいること。そう言うのを見るのって、たまんなかったんでは無いのかなって。だって、自分にはまったく無関心だった父親だから。けれども、ジュールは異母弟であるショーンを妬むことなく、弟としての彼を血を分けた兄として受け入れ、とても可愛がり、兄弟仲良くしていたりする。

ショーンもオッサンになりました。母は違えど兄と弟、仲良いのは救いです。真ん中はポールの次女ステラ、ポールの子供たちはジュールにとっては身内も同然。

John Lennon「Beautiful Boy (Darling Boy)」1980

父ジョンが弟ショーンのために書いた曲。どんな気持ちでジュリアンはこの曲を聴いたのかな…って、余計なお世話か。

資生堂CM

自分のために父が作った曲をバックに、CM出演するショーン。この頃のショーンはまだ可愛かった。

ジュリアンにはポールの「ヘイ・ジュード」があったけれど、実の父親のジョンからのギフトも欲しかったんじゃないのかなあ。

ヨーコとシンシアと、早い段階で和解出来ていたのは良かった。

さてさて…そんなジョンの息子であるジュールが、レコード出した時。当然ですが、ビートルズファンは歓喜しました。

「Valotte」1984

やっぱ声がねー 似てます。そっくり…とまでは言わないけど、面差しもそうだしね。うん…うるうる来たよー この曲聞いた時にはさ。

一時、ジュールとジョージの息子ダニー、ポールの息子ジェイムズ、リンゴの息子ザックら4人でバンド組むんじゃないか?…って噂が、ファンの間で囁かれましたが。まあ、実現はしませんでしたねっっ

して、CMにも出ましたねー

ホンダシティCM

ホンダのCMには弟ショーンも出てます。

そして、ショーンの日本名は「太郎」なのであった。ダサッ

「Too Late for Goodbyes」1984

この曲もヒットしました。

ちなみにプロデューサーは、ビリー・ジョエルも手掛けたフィル・ラモーン。

「Say You're Wrong」1985

「Stick Around」1986

「Saltwater」1991

この曲も全米・全英でヒットしましたねー

んでもって、日本のアニメ映画「遠い海から来たCOO」の挿入歌。

「CHILDREN OF THE WORLD」1993

こちらも担当したりして。とはいうものの、詩しかUPされてないだお。

「Stand By Me」

父もカバーした曲を歌うジュリアン。

John Lennon カバー

「Johnny B Goode」1986

父の盟友チャック・ベリーと。これはファンにとっては感慨深いステージ。何故なら…

Chuck Berry & John Lennon  1972

14年前にこのような共演シーンがあったからです。

今でこそ、大々的な音楽活動はしていないのですが、いちおうミュージシャンの肩書はおろさず、どちらかというと、写真家としての活動の方が主流なジュール。

Julian Lennon Performs 'IMAGINE' for Global Citizen's Stand Up For Ukraine w/Nuno Bettencourt 2022

はい 彼の撮る写真って、とても素敵なんですよ。インスタでfollowしてますけど、景色や食べ物の写真を撮ることが多い彼ですが、食べ物の写真をとても美味しそうにとってくれるんですww

才能がとても豊かなんですよね~ 父の影響だけでなく、天才音楽家たるポールからの影響もたぶんに大きかったと思います。

「Day After Day」1998

「Day Tripper」ビートルズカバー

おそらくそこは、第二のパパ・ポールがいたお陰かもって思う。実の父親との関係はアレだったけど、ポールは家族思いな人だったから、ポールの家族との交流がジュールの欠落したものを埋めてきたのは、間違いないと思う。もちろん、母としてのシンシアの頑張りと愛情もね。

「Help Yourself」1991

ショーンは独身で子供いないけど、ガールフレンドと楽しくやってるみたい。てなわけで、ジョンの血はジュールが継いでいるって感じかな。

「I Don't Wanna Know」1998

ビートルズのパロディなビデオがたまんないです。曲もいかにも、ジョンの曲って感じでwww

ジュールが活躍出来ているのは、確かに父親の七光りが大きいかもだけど、それだけだったら、生き残れてないと思うから、彼自身の才能もあると思うのです。

「Everything Changes」2011


他blogに書いてあるものを、訂正・加筆・リンク修正の上、こちらに再度マガジンとしてまとめてUPしています。

「My Favorites〜音楽のある風景」
 2021/12/08 掲載記事より転載


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