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徳を以て怨みに報ゆ~怨みほど恩を思え

鼠壁を忘る壁鼠を忘れず
鼠は自分のかじった壁のことなど忘れてしまうが、かじられた壁は、そのことをいつまでも忘れないところから、傷つけた側はそのことを忘れるが、傷つけられた側はその苦しめられたことを長く忘れない、という意味。

最近、自分もずいぶんと丸くなったもんだなあ…と思ったことがありました。

あんまし、怒らなくなったというのかなwクレーマー気質なのは変わってないような気もするけど、失礼なことを言われても、気が付かないというか耳に入って来なくなったようでスルースキルが高くなったようです。
もともとは怒りの沸騰点が低くて、ちょっとしたことで激昂するヒステリーババでしたのよ。小学校のときにはすぐ膨れるから「フグ」とかすぐ熱くなるから「フライパン」なんて渾名をつけられたこともあるくらいでww

そう言えば、高校卒業後に生徒会長(同級生で友人の彼氏)に再会した時、やはり同じセリフを言われましたっけ。そんな風に、昔の私は荒んでいたというか、角と棘と毒があって、忍耐の足りない、短気な人間だったのです。

他の友人にも、「あなたにこの歌を送りたい」と…歌詞カードの書かれたハマショーのテープをギフトされたくらいですから。

君は怒りの中で子供の頃を生きてきたね
でも、時には誰かを 許すことも覚えて欲しい

それは被虐待児と言う、常に言葉の暴力と体罰を受けるという環境に生まれ育ったことで、親から「恨みつらみ」を全身に刷り込まれたせいもあったでしょうが、そればかりではなくて、過去生での壮絶な体験から来るものを持ちこしてしまった記憶の残骸も関係していましたでしょうか。
時空を超えた、PTSD体験というやつですね。

憶えてたものに関しても、思い出したものに関しても、客観的に見て、そりゃあ…そんなことがあれば人間不信にもなるわよ!って…そう考えても当然と言うか、そんな反応になってしまっても致し方無しと、思ったりもする今日この頃。

すべては今となっては、ですけれど。

憶えていないからこそ救われることもあるけど、憶えているからこそ救われることもある。憶えてないからこそ苦しむこともあるけど、覚えているからこそ悩み苦しむこともある。

憶えていること、思い出してしまうこと…
憶えていないこと、思い出せないままでいること…

そのどちらがいいのか、果てしての正解は解りませんが、少なくとも私は、憶えていたこと、思い出せたこと。それに関しての悔いはないと言えるかも知れません。あくまで今となってはの結果論ですけどね。
もちろん、今ここまでの境地、心境に到るまでには苦悩と反問の長い日々がありました。

その人に会っても会わなくても、ブラウン管を通じてさえも…その人が過去にどんなことをした人なのか、それが解ってしまうというのは辛いものです。

かつてはこの能力を恨んで、天を憎んだこともあります。

自分を殺した人が解ってしまうのはしんどいもので、殺されたくらいなら、まあ理由や背景があっての不幸な事故なら昔のことだと割り切れますが… 
ですが、理不尽な悪意や利己的なエゴイズムから他人を害して生き延びてきた人と対峙するには、勇気と覚悟が必要です。特にこの仕事を行うにあたっては… 彼らも「救うべき対象」「救われるべき魂」には違いないので。

霊的真理の探究者が行う癒しの仕事とは、魂の救済であって「赦し」を与える仕事でもありますからね。

霊的真理を教える場(グループレッスンとしてのエソテリックスクール)を開いた当初には、過去に色々あった相手と再会する機会がとても多く訪れることになりました。
まるで「赦す」ことを試されるかのように。そのために用意されたステージだったのだと、今は承知していますが。

「あらま、あなたはあの時、あの人生でも私を罠に陥れて、謀反を企んでいると冤罪をかけ、自死へと誘ってくれたけど、またしても、散々迷惑をかけて私の手を噛んだあげく、最終的には顔に砂をかけて立ち去ることをするなんて、昔と似たようなことを私にしてくれるのね」って人もいましたw

そうかと思えば、昔の恩をいつまでも忘れず、せっせとその恩を返そうとしてくれる良縁たる再会もありましたから、人生悪いことばかりではないのです。(今もその縁は続いていて、苦境の中、とても助けられています)

恨み骨髄に徹す
恨みが骨のしんまでしみとおる。深い恨みを抱く。他からの仕打ちを不満に思って憤り憎む気持ち。怨恨 (えんこん) 。
(憾み)他と比べて不満に思われる点。もの足りなく感じること。残念に思う気持ち。心残り。未練。 悲しみ。嘆き。

でも…憎んでも憎んでもあきたらない相手っていうのもいるもんです。仕返しをしてやりたいイジワルな気持ちが無いわけではない。完全にそのような気持ち、復讐心が消え去ってしまった…ということも無いのですが…

最近は、なんかどうでもいいというか…

その相手に復讐するエネルギーがあるのなら、
そのエネルギーを別のことに使いたい、出来れば誰かを助けるために使いたいって、そう思ったりするのです。

はい、その人のことは今も嫌いだし、目の前にいたら、靴底で顔をひっぱたいて、蹴とばして、階段から突き落としてしまうかも知れないけど(それで流産したとしても申し訳ないとは思わない程度には深い怨恨がある<夏に妊娠されたと発表されてましたから)… 
でも、相手の前にわざわざ出向いて、そんなことをしたいとは思わないかな。捕まるなどして、あんなゴミみたいな一文の価値もない相手のために自分の人生とか、これまで得た総てを棒に振りたくないですしww

ぶっちゃけ、私…10代20代は呪詛とか魔術とかを研究・勉強し、本格的に学んで、トレーニングもしていた時期がありますから、 東洋西洋問わず、方法だけは知っています。

ただ、それをしたことが無いだけ。呪いたくなるほどの相手がいたとしても、それを実際するかしないかは別問題(やってやりたい気持ちが起らなかったわけではないけれどっっ)

呪詛を解くことはしても、掛けることは自分自身のポリシーや人の道に外れることだから。※掛け方が解らないと解き方は解るようにはなりませんから。今の仕事では、呪詛について勉強したことがとても役に立ってますし。

でも、意識的にそれをしようと思わなくても、どうしても元から念が強い人間だから、意図的にしようと思ってないのに、発動させてしまったことは幾度かあって…
その場合は私に対してではなく、誰かに対して酷いことをした相手に限ってなのですけどね… 世間的に酷いこと、自分以外の誰かに対してされたことだけに関しては、我慢が利かないのです。

そんな感じで、社会的かつ道義的に「赦せない!」と憤ってしまった相手に飛ばしてしまったことはありますよね。身近な存在でもありますけど。こればかりはコントロールが利かず、自分でもどうしようもなく。コントロールする術がなかったといいますかね。言い訳になってしまいますが。

結果としては、亡くなった方、脳死状態になった方、半身不随になった方がいたりします。あと、精神崩壊されちゃった人もいるらしい(某掲示板で、私のことを叩いてくれてた方が書いてました<もう20年以上も前の話ですけど)

別に呪い札を書いて術を行ったりしたわけではないんですがね。何もしてないんですよ。ウィッチクラフトとかロマの方法、道教や西洋魔術や陰陽道の方法は知ってますけど、そういうのはやってない。頭の中に記憶しているだけ…過去に読んだとか、知ってるだけで、貴重な書物の数々は皆手放してしまいましたし。手元にそもそもないんですよ。

ただ、憤怒の炎が全身に広がり、火柱が脊髄に添って立ち上がったかと思ったら、尾てい骨のところ、第一チャクラのとこかなー クンダリーニエネルギーが開いてしまったのだと思うけど… そこから火球のような球体が打ち上げ花火のように脊髄通ってポーンと、頭上から抜けて、ロケットのように飛んで、どっかに行ってしまうんですね。
これは体感的なものです。視覚的に捉える感覚ではなく、もっと肉体的な感覚で、本当に身体の中から何か「大きなエネルギーの塊」が出ていくの。衝撃と共に。ブハッ!て。
時に肩甲骨のところ、背骨のところに添って、そこが開いて、出ていくときもあります。これはもっと緩やかで、スピード感はさほどないかな。火球が出ていくときは一瞬の衝撃なんですが。

困ったことに、これホント制御出来ないんですよ。

だから、なるべく「怒らないよう」にしている。「私の中にいる誰かを怒らせないで欲しい」と願いつつ祈りつつ。

そして、「こんな会社(お店)、潰れてしまえ!」とちょっと思う位ならいいけど、数年前派遣で行って、集団イジメに遭っちゃったんですが(短期の仕事で派遣が大量採用された現場)…なんかね、私「目立つ」のか、「気取っている」とか「服装が派手でお洒落な街で買い物をしている」とか、そんなことをいじられました。いやさ、目立つの嫌いだし、服だってユニクロとか、巣鴨の商店街で購入した安物しか着てないし、じもつーな地蔵通り商店街とか駒込とかせいぜい池袋でしか買い物してなかったんだけどさ。

仕事に支障がありありだったんで、抗議をしたらば、イジメてきた相手の言い分だけ聞いて信じて、一方的に理不尽に解雇してくれた会社です。
が…不祥事を起こして、役員の人たち総入れ替えになるなど、新聞沙汰になりましたね。

「あ゛、またか。しまった」と思いました。

でも内心、「ザマーミロー」とは思ったかなww

とは言うものの、たぶん単なる偶然。もともとそんな腐った会社だったってだけのことでしょう。私ごときにそんな力があるとは思えませんしね。個人レベルでなら、まだしも、結構大きな会社相手のことで、本格的な呪詛などやってない・・・

「潰れてしまえばいい!」って、口に出しただけのこと。
それに潰れてはないし。

まあ、確かに私に対して酷いことをした人が、その後で(直後ではなく数年後ですが)酷い目に遭うケースは多々あるから…

最初は憑き物筋を疑いましたが、そうではないらしく・・・
動物霊ではなく、祖霊神としては水神(龍神含む)を祭ってきた家系ですし…そっち方面ではなく、私個人の気性に由来するものかなと。確かに、道教の修行(仙人になるため)をしたことが過去生の人生ではありましたからね。

だから、例の「憎んでも憎んでもあきたらない、赦せない相手」に念を飛ばすこと、たぶん私には容易いことなんだって思います。何となく、そんな気はする。たぶん出来るなって確信がある。やろうと思えば、知っているいずれかの方法を用いても用いなくても、それは可能なんだろうって。決して難しいことではない。

二度と歌えないように喉を潰すなり、もう二度と人前に…ステージに立てないように、昔私の顔と髪を焼いてくれたように、その整形顔が崩れてしまうように…とか。悪評が流れて、今の世界で生きていけないように等など。彼女が一番大切に思っている宝物を失うように、彼女にとって一番大事な人が彼女を見捨てたり、この世からいなくなるようにとか…いくらでもそんなのは出来るのだろう。

無意識でも、過去の様なことが起きちゃったりするんだから、意識的に、本気出してそれをすれば…真剣に想念を集中させれば、たぶん難なく出来てしまうんだろう…

呪いの方法なんてたくさんあって、誰かに依頼しなくても、私はその方法を知ってて、やり遂げることも可能なんだろうって… 

でも、今も怒りはくすぶっていて、憎しみも消えないけど…この怨みを完全に忘れることなんて無理なんだけども。
もちろん、赦すこともはもちろん改心させようとも、助けてあげたいとも思わないんだけど。

そんな相手に対してエネルギー使うよりも…相手の不幸と破滅を願って、命を取ったり、人として終わらせたり、呪いを成就させることにパワーを消費するよりも…

その分、助けてあげたい人、救ってあげたい魂があるから、そっちにパワーを使いたいし、エネルギーを消費したい。

誰かを助けるため、救うため、救済し、癒すべき人のために私は私の力と、自分の人生の時間を使っていきたい。

そんな風に切実に思うのです。うん、思ってしまう。

人を恨み、憎み、怒り、誰かを呪って生きるよりも、
助けてあげたいと思う人、救ってあげたいと…癒しと赦しを必要としている魂のために、私は自分の人生を生きたい。

私は私の力をそういうことのために使っていきたい。
私の能力はそのためにあるって、そう思います。

自分は破壊や災厄をもたらす魔女ではなくって…誰かを害するためではなく…命を、自然や人々を祝福するために…悦びと幸せ、希望と光、愛ある人生、豊かな実りや創造性をもたらすために、その方向に人々を導くために自分は生まれてきたんだって…そう信じたいから。

未来を覗いたり、過去を知ったり、人々が創ったエレメンタルを視たり、様々なことを視る目はそのためにあり、人々のしがらみを解き、呪縛から解放するために私の「ちから」はあるんだって…そのために授けられたもので、磨いてきたものだって、学んできた智慧も力も何もかも…そのためのものだって、思ってるから。

んでもって私には、3次元に師匠はいないんですが…
肉体を持たない師匠はいまして…(謎)

「このやり方を選んだことを悔いているのかい?

あなたはあなたのやり方で人を救うことを選んだ。
僕には選べなかったことだ 。あなたはこれから、あなたのやり方で一人ひとりを改心させることになるだろう。タネは十分まいた。これから一人一人、関係が改善していくんだ。苦労が実になっていく。

このやり方を選んだあなた自身を、あなたは本当に好きでいるかい?」

最近のマスター(ダスカレ)のメッセージ、言葉に泣いちゃいました。たぶん、欲しかった言葉。一番聞きたかった言葉。

8ハウスの太陽の孤独が癒された瞬間かも。

チーター大好き💛



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