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吉田亮人/始まりの旅

 2010年8月。僕はインドの首都デリーからムンバイまでを自転車だけで旅した。
 2ヶ月間に及んだその旅は今思い出しても嫌になるぐらい過酷で、よくあんなことをしたなと我ながら思う。それまで自転車での旅の経験もなければ、インドへ行ったこともなかった。
 それにもかかわらず僕がこの旅に向かったのは、ある切実な理由からだった。

 2010年4月。僕はひょんなきっかけから6年間勤めた小学校教員の職を辞め、写真家として歩み始めた。歩み始めたというと聞こえはいいが、 どのようにして写真で生計を立てていくのかそのノウハウも知らなければ、気の利いた戦略も、人脈も技術も何もない、ただの写真家志望の無職の男に過ぎなかった。

 あるのは有り余る元気と新品で購入した5万円のカメラと、写真家になるぞという意志だけだった。
 しかし写真家として僕は一体何を見たくて、何を撮りたいのだろう。その肝心の部分にフィルターがかかったように霞んで見えず、漠然としていた。
 これは僕にとって切実な問題であり、同時に写真家として最も大切な部分でもあった。

「一体僕は何を見たいのだろう」

 まだ僕が知らない、僕自身の中に眠る何かがあるはずだ。その何かを見つけるためには旅しかないと思った。「自分探し」などと安易な言葉は使いたくないが、遠い昔から人々は旅の中から何かを見つけてきたではないか。僕もそれに倣うかたちで旅に出ようと考えた。
 そう考えてから数日後、旅先はインドにしようと閃いた。なぜインドだったのか、それは今でもよく分からない。そこには僕のような者を吸引する何かがあったのだろうか、それとも僕が求めるべき何かがあったのだろうか。
 とにかく僕はインドという未知の国を目指そうと心に決めた。そして己の力だけを使って旅をしたいと思った。それには自転車がうってつけだった。
 自分が行きたい時に行きたい場所に行けるという自由を確保できることはもちろん、直接自らの肉体で体当たりする事で感じられる手応えの中にこそ、僕の求める何かがあるような気がしたのだ。
 30歳を目前に控えた、20代最後の無謀で向こう見ずで当てのない旅が始まった。

 インドの首都デリーを出発してムンバイへと向かうこの旅が始まり、既に2週間が経とうとしていた。
 田舎から田舎へとひたすら自転車で走り、無我夢中で旅を進行させ、その過程で無数の人達に出会った。
 自転車でデリーからムンバイまで行くのだというと皆、目を丸くして驚き、ある者は「君はストロングマンだ!」と言って称賛し、ある者は「休んでいきなさい」と言ってチャイやご飯を御馳走してくれたり、ある者は「泊まっていきなさい」と言って旧知の友のように温かく僕を迎え入れ、家に泊めてくれたりした。
 そうやって無数の出会いと別れを繰り返しながら自らの力でペダルを踏み込み、インドを突き進んでいるという実感は僕に何にも代え難い経験と確かな手応えをもたらした。そしてそれと同時に僕の中の世界の見え方がいい意味で少しずつ解体されていくのだった。
 しかし、2週間を過ぎた辺りから僕の中で少しずつある感情が沸々と育っていた。
「帰りたい。日本に帰りたい」
 とにかく僕は疲弊していた。
 毎日休むことなく自転車を走らせ続けたこと、そして、未知の世界を進みながらたくさんの人間に出会う刺激的すぎる毎日が、僕の心と体のキャパシティを超え始めていたのだ。
「こんなことして何になるってんだ。とにかく日本に帰ってこの苦しみから解放されたい」
 呪文のようにリフレインするこの感情は段々増幅され、最後にはこんな旅を計画してしまった自分を呪い、挙げ句の果てにはこの旅が僕にとってまるで無意味なものに思えてきたのだった。
 しかし帰りたいと言ってもすぐに帰れるものではない。僕はこの旅の意味そのものを疑いながら仕方なく進むしかなかった。

 旅も中盤を差し掛かった頃、僕はインド西部のラジャスタン州の片田舎を走っていた。
 人っ子一人いない荒涼とした大地に、定規で引いた様な一本道が地平線の彼方まで続いている。走っても走っても変わらない景色にうんざりしながら、それでも何とか前に進むのだが、相変わらず僕の気持ちは後ろ向きのままだった。
 僕は路肩に自転車を止め、とめどなく吹き出る汗を拭いながら残り少なくなった水筒の水を一気に飲み干し、辺りを見回した。

 遥か向こうから羊飼いのおじいさんがゆっくりと近づいて来るのが見えた。「パジャマ」と呼ばれる白い民族衣装とターバンを巻き、「ハッ! ハッ!」と威勢の良い声を上げながら何十頭という羊を一人で前進させている。羊の歩く速度は実にゆっくりで、時折草を食みながらのんびりとこちらに近づいて来た。
 その様子を見つめていると、おじいさんも僕の姿に気付いたようだ。
 目が合った瞬間「ピーッ! ピーッ!」と指笛を鳴らし、羊の歩みが止まった。
 僕をじっと見据えたまま、微動だにしないおじいさん。
 青い目と白い髭と、彼自身の歴史を物語っているような深く刻み込まれた皺が印象的だった。
 すると彼が突然、
「○▲※■△●□!!」
 と、僕に向かって何か大声でまくしたて、にわかに歌いながら踊り始めた。
 あまりに突然のことで、僕はあっけにとられていた。
 しかし次第にその光景に強く惹き付けられるのだった。
 目を閉じて声を振り絞るように出して歌いながら、天を仰ぐように手を大きく振りかざしたり、ステップとも言えないステップを踏んだり、ジャンプするおじいさん。
 それはまるで生きる喜びや素晴らしさが体全体から発せられているようだった。
 彼の大きくて伸びやかな歌声が大地と大空に溶けていく。羊は黙々と草を食んでいる。
 僕はシャッターを切った。

 その時間はどれぐらい続いただろうか。
 すごく長くも思えたし、すごく短くも思えた。
 そして何の脈絡もなく歌うのも踊るのもやめ、僕ににっこりと笑いかけると、おじいさんはまた威勢の良い声を上げながら羊を前進させて行った。
 羊の群れはどんどん遠ざかり、誰もいない静寂に包まれた元の風景に戻った。
 何だったのだろう、今の時間は。幻だったのだろうか。彼の発した心地よい歌は僕の耳の奥でまだ響いている。僕の感情は強く揺さぶられていた。
 そして僕はこの旅に出てやっぱりよかったと心の底から思った。

 果たして僕は自転車での旅をやり切ることで、インドという世界によって映し出された自分自身の姿や感情の動きを見たのだった。
 それはちっぽけで弱くて愚鈍な、30歳を目前に控えた20代最後の等身大の自分だった。旅は容赦なく僕を丸裸にしたのだった。
 そんな自分を受け入れ、通り過ぎていった無数の人々。そこにはありとあらゆる人生と世界が広がり、人々はその中で僕と同じ時間、同じ時代を生きていた。

 僕はそれらに心動かされ、その度にシャッターを押した。僕の撮りたいものはそういうものだったのだ。
 もう二度と帰って来ないあの旅の時間。その延長線上にある今の僕。
 間違いなくあの旅から全てが始まった。

 僕は時折あの旅の輪郭をなぞってみる。ざらっと荒い感触を懐かしく感じながら僕はまた等身大の自分を感じるために旅を続けようと思うのであった。

【初出:2014年4月/ウィッチンケア第5号掲載】

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