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思春期プレイバック。

いつも構成や内容を特に考えず、徒然なるままに書きたいことを書きたいだけ書いているのですが、今日は特別長くなる予感です。
そして語弊が生まれるのがで怖いので、言い訳がましいことを書き連ねると思います。 

今日は大災害を起こしてしまいまして、生きた心地がしないというか、屍のような気分で、久しぶりにこんな水深まで来ているので、どうにか正気を保とうと指と脳を動かしています。

正直悩みました。
聞いて欲しいけど、聞いて欲しくない。
でも自分の中に留めておくには少し膨らみすぎている。
そんな話です。
結局誰か特定の人に話すわけでもなく、ネットに書き綴るわけです。

ポロっと出てきたすごいやつ。

ある友人の一言です。

「過去は変えられないけれど、過去の意味は変えられる。」

某鳥SNSの感動する言葉bot系のものだったり、自己啓発本に書いてあったら、
ほぉん・・・。ってなります。多分。
そういう無色透明なものは居心地が悪くて、どうしても遠ざけたくなってしまうマンなのです。

衝撃を受けたのは彼女の過去を少し、知っているから、
その言葉の重みが痛かったからだと思います。 
言葉の意味がすごいスピードで来たというか。

大なり小なり、誰しも何かしらあると思うんです。
いい表現が見つからないのでフワッとさせますけども。

過去が自分にどう作用するか。
過去を自分にどう作用させるか。
そういうお話です。

諦めることから始める。

の、前に。
あくまで私のひどく偏った考え方なので、あっそぅ。くらいに読んでください。
アラヤダ急に恥ずかしくなってくるわ。 

諦める、と言うと少し印象が悪いですが、
多いと思うんです、過去に縋ってしまうことって。
あの時のアレがどうしても…っていうこと。
とても大事なことだと思うんです。
自分を逃がすことが出来るので。
ポケモンだって、逃げるっていう選択肢があるじゃない。

ポケモンじゃぁ、ないんだぜ。

ある友人のせいで東京ダイナマイトがお気に入りです。

ひとつの経験について、アプローチ方法は色々あると思うんです。
出来るだけぶつからないよう、回避スキルを磨くとか。
思春期拗らせガールの私は、ただ逃げ回ってました。
拗らせに拗らせた結果、トドメの一撃をくらいました。

「自分のこと可哀想とでも思ってるんじゃないの」

アー、恥ずかしい。本当に。
何故そんなことを言われたのか痛いほどに分かるから、恥ずかしいのです。
当時の私は、なんとなく自分でそんなところがあると思いながら、何かのせいにして目を背けたがってました。
ち、ちげーし。って言いたかったんですよ。

アイタタタ・・・・。
しかしこれをきっかけに、色々な出来事について向き合うようになりました。
こうすればよかった、こうしてよかった、これはこうならざるを得なかった。
そうするうちにだんだんと諦めがついてきました。
何かのせいにして逃げるのはもう諦めようと。


つゞく

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