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クイック放出、たぶんその1

私が普段書く日記というのは到底人に見せられるようなものではなくって、というのも何言ってんだこいつというのもありますし、基本的に日記は自分との対話といえば聞こえが良いですが、良いも悪いもすべて晒け出す場にしているので、まぁお見せできません。

そして長年手書きにこだわっていたのですが、最近は途中で力尽きることが多くなってきて、さらにこの程度のことをこの労力かけて書くか、みたいな気持ちが芽生えてきたので、クイック放出と名付けてただ書き出したい刹那的なことはnoteにまとめてしまおうという魂胆です。

今日はなぜかとてもストレスを感じていました。

それは迫り来ては過ぎ去っていく時間への焦りだったり、目前に散らばるタスクが整理できていなかったりするせいでもありつつ、なんだかんだで無為に過ごしてしまった時間へのほんのりとした後悔だったりします。

会社を出る前はもはや吐き気を催していて、ちょっとパスワードが違っただけで、ちょっとネットの読み込みが遅いだけで、危うく舌打ちしそうになる感じ。
あぁ、いまわたし余裕がないなと。
そこに追い打ちをかけるように、溜まったままメルマガ解除していないメールや既読すらつけられていないLINEの通知が目に入ってしまい、あぁ、いまわたし本当に余裕がないなと。

というのも、メッセージでのやり取りを億劫に感じてしまうことに加え、以前も軽く触れたことがありますが私の脳は基本的にすべてうっすら嫌うことを好むので、
(といっても、嫌いなので近づかないでください、というような意味ではなく、どちらかというと自身の何かと考えすぎてしまったり謎に繊細な部分に自覚と軽い課題意識があるので、MPを温存するためにとりあえず愛着を持たないようにしている、といったほうが近いような気が、今はしています。)
少しでも嫌う余地のある人やものを進んで嫌おうとするモーメントが働きます。

よかったな、と思うのは、自分が今抱いている嫌悪感はそのモーメントによるものであるとわかっていて、ある種自分の感じているストレスを図る指標になっていることです。

そんな中で、またもやこれはありがたいなという話なのですが、
私の敬愛してやまない師匠が、何とも言わずにただ一句、川柳を送ってくださいました。
空を見上げれば月が照っているよ、という、それ以上でもそれ以下でもなくただそのメッセージが、本当に嬉しくて。
帰り道、すこし遠回りして公園に寄りました。
久しぶりにブランコに乗って、少し木に隠れてしまってはいたものの、ちょうど真上に月がありました。
そういえば上京してきてから、前のように散歩に出てはブランコに乗ったりだとか、今日の月はどうだろうと探したりだとか、全然していないなと。

頭も心もスーッと晴れていくような感覚があって、帰る頃にはまずはこれを終わらせよう、着実に一つ一つ終わらせていこう、と、むしろ爽やかな気持ちになりました。

東京の街はあまり星が綺麗に見えませんが、それでも月は綺麗に見えるくらいには明るいし、こうしていったん頭を空にする時間を取って、10分でも5分でも、半ば強制的に余裕を作るということがこんなにも大切なことなんだと身をもって感じました。

そして昔だったら、あぁ嫌い、とおもって自分を孤立させようとしたりだとか、本当はたいしたことではないものまで徹底して拒否しようとしたりしてしまっていただろうと思うと、むしろ良い気分になってきたりして。
こうして少し時間を取って、ありがたいなという気持ちを味わったり、書き起こす気力、余裕も生まれてくるわけですね。

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