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捉え方

物事をどう捉えるか。
どう捉えて、どう考えるか。
これが大事だよなぁと思うのです。

先日の漢方相談で、雑談をしていた時、
トラウマを完全に取り除くことはできないということに辿り着いたと、先生は仰いました。
なぜならば、その人自身の捉え方で変わるからで、その捉え方はその人次第なので周りはどうにもしようがないと。
その人がどう捉えるか考えるかなんて読めないし、分かり得ないからと。

なるほどなぁと思いました。
全くその通りだと思いました。

私は数年前まで、なんとなく母に敵対する気持ちがありました。
遅くきた反抗期のように、なんとなく反発したくなる気持ち。
私は私の両親が絶対だと思って育ってきました。
両親の言うことに従うべきだと思っていました。
なので、大人になっても判断を仰ぐような子どものままでした。
自分の中で答えは決まっていても最終的には聞く。決められるようで決められない自分でした。
なので、自分の気持ちとしては答えがあっても、まずは人の意見を聞き、それを選択します。

そんな自分を、少し嫌になり、高圧的な両親のせいでこうなったのだと思うようになりました。
が、でも違うんですよね。
それを選んだのは私なんです。

親に従ってきたのは、それが1番いいのだろうと子どもの時に思ったからなのだろうけれど、
そう捉えたのは私自身なんですよね。
反抗したら悲しむだろうなとか思い、反抗できなかったり、裏切ったりすることができませんでした。できなかったと言うより、しないことを選択したのは私。

これってそう捉えてきたからですよね。
別に両親は私を傷つけようと厳しくしたわけではなく、大事に思いすぎてくれたのかな?
両親にとって私が初めての子どもで、まだ若かった2人は強く叱ったりすることしかできなかったのかな。
私のように幼児教育を学んだわけではない一般の親なので、可愛いがゆえの厳しさ。
それが私にとってはなかなかの理不尽で苦痛な時もあったけれど、どっちも仕方がなかったこと。

そういうことをふと、受け入れられるようになったというか。
そういうふうに捉えることができるようになり、気持ちがとても軽くなりました。

私はいつも、母のようになりたくないと思っていました。だけれども、親子なのでやっぱり似てくるのです。繰り返しそうになるのです。
でも、捉え方を変えることに気づいたことで、我が子には、
私が正解だと思わないでほしい。
私も間違っていることもあるし間違うこともある。
だから、お母さんと同じ意見ではないといけないと思わないでね。
と、いつも伝えています。

昭和の時代に育ってきたので、両親は世間体をとにかく気にするタイプです。
そういうこともあって余計に厳しかったのかな。
そしてそういうふうに育った私はとにかく周りの目を気にするように育ちました。
でもそれが生きにくかったのだということに気づいたので、今は気にしない。
わたしは私なのだと思うようにしており、それを見せていくことによって、子どもたちには伝染していかないように、今の時代にあった生き方ができるようにしたいなぁと思っています。

どんな時代も生きにくいのかもな。
だからこそ、捉え方。
自分の捉え方次第で、見え方が変わってきます。
私もまだまだ勉強途中。
自分の見方捉え方、まだまだ磨かないとな🌱

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