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ボランティアに「欠勤」はない

 つい先日のこと、学生のボランティア支援という名目で行われたセミナーに参加した。学生と複数のボランティア団体がディスカッションを通して、その魅力を知ることで、ボランティアへの参加を促すという内容だった。オンラインでの開催だったから家に居たが、始まるまではなんともやる気がでなかった。自分で申し込んだはずなのに。

 そんな気の進まないセミナーのためにわざわざパソコンを用意して椅子に座った甲斐があったと今では思っている。一つだけ新しい発見があった。ボランティアに向けられる批判といえば、労働力の搾取と自己満足がその二大巨頭である。有名人がチャリティーイベントを開いたり、寄付をしたりすれば、アンチコメントが膨大な数に及ぶのは、みなさんご存知の通りだ。私も声高に宣言しないとは言え、たしかに労働力の搾取ではあるよなあとなんとなく思っていた。

 私に新しい発見をもたらしてくれたのは、小学生をメインに学習支援ボランティアを3年ほど続けているという、見た目は50代の男性だ。(「見た目は」と言っているのは、実際の年齢を知らないからだ。)学習支援ボランティアは、決まった曜日と時間に開いていることがほとんどだが、その人は5人でグループワークをしているときに、活動している中で大切にしているものは何かと問われて、「ボランティアなんだから、休みたいときに休めるような環境をつくること」と言っていた。さらに話を聞いてみると「ボランティアはアルバイトじゃないからお金はもらえない。その分、気楽にできるようにしないといけない」と言った。なるほど!と思うのと同時に、自分でも腑に落ちた感覚がはっきりとあった。

 そもそも労働力が商品になるのは、雇用契約があるからだ。ボランティアに雇用はない。仕事を勝手に休めば、欠勤だ。ボランティアは休んでも欠勤にはならないし、休んだことに対する罪悪感を抱く必要もない。もちろん次の日に仕事がたまっているなんてこともない。そもそも「休み」なんて発想はなくて、「単に今日は行かなかっただけ」のことである。仕事とボランティアを比べてみると、案外気楽なものだ。ということにひとり気が付いたのは、セミナーが終わって夜ご飯を食べているときだった。「欠勤」のプレッシャーがないから、肩の力を抜いて活動に向き合えるし、疲れたという理由で行かなくても構わない。やりたいときだけやる。もういいやと見切りをつけたなら、「学業との両立が…」とか言ってしまえばいいだけのことだ。「やりたいときだけやる」とはなんとも無責任で身勝手に思われるだろうが、たまにでも「やりたい」と思うというのは、たいていの場合、「続けたい」と同じ意味だ。

 ただ、こういうことを考えてボランティアをしている人って少ないんじゃないかと思う。自分はセミナーに参加してみて、こんなことを考えている人がいることに驚いた。何か始めてみたとしても、もしかしたら自分の能力をひけらかしたいだけの厄介者が集まっている団体かもしれないし、やたらと「責任」を押し付けられるかもしれない。ボランティアをやるような人たちはきっと責任感の強い人たちだから。今月末から自分も学習支援ボランティアを始める。「気楽な」気持ちで、子どもたちと向き合ってみたい。

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